東アジア討論室 128956


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スレ「5月講演会:大工原 豊先生」

1:管理人 :

2024/04/28 (Sun) 00:54:08

https://bbs1.fc2.com//bbs/img/_888000/887932/full/887932_1714233248.png このスレは、講演会の予習のためのスレです。
講師の先生への質問などを、
事前に書き込んで頂けると、講演会で、
回答をいただけるかも知れません。

また、講演会の後に、意見・感想なども
書き込んでいただけるとありがたいです。

.
『縄文研究の新動向ー縄文後期前葉の群馬地域の様相』
「東北北部の配石墓(石棺墓)の北関東への伝播」

■日 時 : 5 月 18 日(土)14 時~16 時半 終了予定
■講 師 : 大工原 豊先生(國學院大學栃木短期大学)

■会 場 : 北とぴあ第 2 研修室 B
(王子駅2分、次頁地図ご参照下さい)

⇒会場講演+オンライン(ZOOM)同時配信
6:イナガキ:

2024/05/08 (Wed) 17:25:50

大工原先生には、10年ほど前の会の旅行で安中の博物館を訪ねた時に熱心にご案内頂きました。楽しみにしています。
5:米田 :

2024/05/02 (Thu) 14:22:05

https://bbs1.fc2.com//bbs/img/_888000/887932/full/887932_1714627325.gif .
※:「配石墓(石棺墓)」と「甕棺墓」を
_:比較してみました。
4:米田 :

2024/05/02 (Thu) 14:17:23

https://bbs1.fc2.com//bbs/img/_888000/887932/full/887932_1714627043.png .
※:「配石墓(石棺墓)」のイメージが
_:つかめなかったので、調べてみました。

「配石(はいせき)」(ウィキペディアより)
:配石、または配石遺構(はいせきいこう)とは、
:考古学において、表面の滑らかな河原石などの自然石を、
:地表面に目的をもって配置したり、組合せたりして
:構築した遺構を指す語である。
:ピラミッドのような石組みの建造物は、ふつう含まれない。

:概要
:配石遺構の形態には様々なものがあり、その性格も集落内の
:土地区画など日常生活に関わる標識から、埋葬や祭祀・信仰に
:関わるものまで多岐にわたると考えられている。
:単独のものは組石(くみいし)とも呼ぶ。

:配石遺構の内、石を列状に配置したものを列石(れっせき)と
:呼び、円形(環状)に配置させるものを環状配石や環状列石
:(かんじょうれっせき、いわゆるストーンサークル)と呼ぶ。
:長大な石を垂直に立てた立石(りっせき)をともなう場合も
:ある。

:河原石や礫を土坑(墓穴)の中や外に配置した
:埋葬施設を特に配石墓(はいせきぼ)と呼ぶ。

:また日本の縄文時代後期に見られる住居形態の一種で、
:床面に平たい石を敷き詰めるように配石したものは
:敷石住居(しきいし-じゅうきょ)と呼ばれる。

:ヨーロッパには、‥‥。

:日本では、縄文時代の近畿地方東辺部以東の東日本を中心に
:配石遺構がみられるようになり、同時代前期に顕著となり、
:中期には急増する。前期末から中期・後期前半までの
:ものでは、配石の下に土壙墓を伴わないものがみられるが、
:後期以降は土壙墓を伴う例が増加する。

:環状列石を伴う著名な遺跡には、
:秋田県 鹿角市の 大湯環状列石や
:青森県 青森市の 小牧野遺跡、
:秋田県北秋田市の 伊勢堂岱遺跡があり、
:これらはいずれも縄文時代後期の遺跡である。
:また、石材資源の豊富な中部地方の山麓地域に
:おいても盛んに作られる。
3:米田 :

2024/05/02 (Thu) 13:57:46

https://bbs1.fc2.com//bbs/img/_888000/887932/full/887932_1714625866.gif .

│■講師の言葉
│縄文時代「中期末葉」に東北北部で出現した
│配石墓(石棺墓)は日本海ルートで伝播し、
│縄文時代「後期前葉」には甲信越地域を経由して
│西関東地域で構築されるようになる。
│・・・・・
│以上のように、配石墓は
│縄文時代「後・晩期」の精神世界を理解するために、
│重要な遺構であり、多角的に研究する必要がある。


:縄文時代の初心者にとっては、
:時代区分(中期・後期)の違いがよく分からないです。
2:(管理人) :

2024/05/02 (Thu) 11:17:15

https://bbs1.fc2.com//bbs/img/_888000/887932/full/887932_1714616236.gif .
■講 師 : 大工原 豊先生 (國學院大學栃木短期大学)
_____:ダイクハラ ユタカ (Yutaka Daikuhara)
■講師の言葉
「縄文時代中期末葉に東北北部で出現した
配石墓(石棺墓)は日本海ルートで伝播し、
後期前葉には甲信越地域を経由して
西関東地域で構築されるようになる。
群馬地域では約320 基の配石墓が検出されている。
この墓制は新たな宗教観をもたらしたものであるが、
東関東地域では拒絶されたようである。

群馬地域の配石墓の変遷についてみると、単一回埋葬用の墓から
複数回埋葬用の一次施設として利用されるように変化する。
また、出現期では集落(地域)のリーダーの住居(核家屋)の
出入口右側に構築される共通性がある。
そして、配石墓は長期間にわたり同じ場所に構築され続け、
配石墓群を形成するが、後世には儀礼・祭祀の場として
利用されるようになる(遺構更新)。

以上のように、配石墓は縄文時代後・晩期の精神世界を理解する
ために、重要な遺構であり、多角的に研究する必要がある。 」

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