東アジア討論室
「邪馬臺國」オタクの呟き - 福島雅彦
2024/07/25 (Thu) 12:38:36
※文献派・言語考古学を標榜。(謎だの永遠のロマンだとは認識していない)
「古代倭語(方言と朝鮮語に片鱗を留める)」(福島命名)をツールとして。
*穴掘り考古学は須らく仮定の域を出ていない!=実年代が定かではない。
・著名な古墳の築造暦年と被葬者が誰だか解っていない!
*古今の先哲の論考を悉く批判・否定。(肯定できるのであれば謎ではない筈)
・「畿内説」はありえない。(中国正史の記述をいい加減としてしか成立しない)
・抑々、「邪馬臺國」と「邪馬壹國」は誤写・誤記の問題ではナイ!
①「邪馬臺國」も「邪馬壹國」も中国正史の書記官の脳裏にしか存在しない!
『古事記』『日本書紀』に記載が無い、のが何よりの証拠である。
「太安万侶」、「稗田阿礼」は知っていたが、『記・紀』編纂目的にそぐわないので、天武天皇、藤原不比等らから隠蔽を命じられた、と観る。
・倭王「帥升」、「卑彌呼」、「阿毎多利思比孤」も同伝で記載が無い。
②翻って、中国正史にも「邪馬臺國」「邪馬壹國」の具体的描写が無い。これは郡使(魏使)が現地に行っていない証拠である。郡使(魏使)は「伊都國」に常に留まる、と明記している。「梯儁」も「塞曹掾史張政」も「伊都國」止まりである。
・「邪馬臺國」へ到っていない事を中国正史は隠していない。
*「参問倭地…周旋可五千余里」=実際に郡使が踏査した倭地は延べ五千餘里 。(『三国志(魏志倭人伝)』)
・狗邪韓國(千五百里=逆算)+三海峡横断(三千餘里 )+末盧國~伊都國(五百里)=五千餘里 。
・(七千餘里-韓地方四千里=三千餘里 /郡治と倭地で按分=千五百里づつ)
*「狗邪韓國」が「倭地」である事は明記されている。
・詳らかになる「倭」の九ヶ国=①「狗邪韓國」、②「對海國」、③「一大國」④「末盧國」、⑤「伊都國」、⑥「奴國-1」、⑦「不彌國」、⑧「投馬國」、⑨「邪馬壹國」=「邪馬臺國」(実質「奴國-2」と重なる)。
行程の順路ではない!
行程図へ、つづく
Re: 「邪馬臺國」オタクの呟き - 福島雅彦
2024/12/05 (Thu) 13:23:35
(その9) 未だに、宮崎説が登場するとは驚きである。
・「邪馬臺國」は、「九州説」以外ではあり得ないと結論付ける。
・「邪馬臺國」の位置=神話の舞台(「高天原」)と重なる。
・「邪馬・邪靡」=「天(あま・あめ)」の筑後弁訛りの音写である。
∵筑後弁で「蟻」=「ィあり・やり」と訛る。
・「山がやま」なのは、「水縄連山(耳納山地)」こと「水縄山」限定である。例外は「霊峰富士のおやま」と霊験・聖なる山限定である。
*「邪馬臺國」とは大倭王の居所説明文言を国名と勘違いしたものである。
・「倭人」は居所を問われて「天(あま・あめ)てェ!」と答えている。
・「てぇ」=筑後弁の強調の語尾“tai”の二重母音。愛媛県の“ai”=「ゑ」。
*「邪馬壹國」も「卑彌呼」の居所説明文言の音写である。
・「天(あま・あめ)ン(の)上(うィ)」と一本指を立てて上方を指した、から。
・「壹」=“yi”を「倭人」が“wi”と訛っていると取られた。
※「天(あま・あめ)」は謂わずと知れた「高天原」の意である。
(1).「高天原」
『古事記』書き出しでは神話の舞台で神々がいる天上界の事を思わせる記述。
「天地初発之時 於高天原成神 名天御中主神<訓高下天云阿麻下效此>次高御産巣日神次神産巣日神 此三柱神者 …」に、<訓高下天云阿麻下效此>と註がある。
即ち「高天原」の「高」の下の「天」は「あま」と読み以下は此れに效く(倣う)、と。何故「天」を「あま」と読むかには触れていない。これは、時の権力者(藤原不比等)から隠蔽を命じられた太安万侶が反骨精神から、後世の賢者が読み解ける様に仕込んだ「鍵」と観る。私はそれに応えて解読した。
*「高」=高低の意ではなく、寄って「集(たか)って」の当て字で 朝鮮語“다가-”(taka=[傍へ寄り付く、寄り添う、近付く、詰め寄る]と同じ語幹。
水縄連山(耳納山地)の東西≒25㎞の山頂かノコギリ歯状を呈している様を表現している。
*「天(あま・あめ)」とは…。
(イ)“아-”(a-)=朝の「あ・さ」=朝の来る方向(処)=東の意と同義。
東(あづま)(あ・詰(つま))=東の端。朝(あした)、明日 (あした)、(夜が)明ける、皆「あ」が付くのでもいえる。
朝鮮語の朝=“아침”(a-chim)=朝、あした<雅>(『民衆書林・韓日辞典』)。
NHKハングル講座(ラジオ) 講師イ・ユニ先生 2007年4月号。
[ハングル物語―母音字はどうつくられたか]
母音字は「陰と陽の調和」という自然の法則を基に作られています。
母音[a]=「天(太陽)が人の東」→朝の明るいイメージ。≪一部抜粋≫
(ロ)“메-”(mæ-)の母音は現代朝鮮語では“e”となっているが、本来は「ま・め」の中間音。故に「天(あま・あめ)」の両方に詠める。
“메”=「山」の古語的表現(民衆書林・韓日辞典)。<前述>
「山」が(やま)なのは「天(あま)」の九州弁訛り。「蟻」を「やり」と訛る。
「山」は「(国の)東の聖なる山」=「高天原」限定用語だったのが他に敷衍。
*「原=ばル」とは、“벌”(beol)=[原;野原(民衆書林・韓日辞典)]で、筆者註としては、「耕作地=邑」。
※従って、「高天原」=「東の山(聖地)に寄って集(たか)っている原」。
水縄連山(耳納山地)の東の端のうきは市(旧・浮羽町)の狭い谷間に、百箇所近くの「○○原」の字地名が犇(ひしめ)いている。此地に「日向」の地名が現存。朝日に向いた地の意で「筑紫の日向」(国生み神話の舞台)である。「○○日向」の地名が他に十二ヶ所。
「浮羽」の地名も[旭日原] =“욱일벌”(u-kil-beol)の語尾子音欠落発音である。漢字音由来なのは、「徐福」渡来後の影響か。「高天原」=「阿斯達」とも同義。旧・浮羽町役場の地名は「朝田」=「阿斯達」と同義=「朝日に輝く」の意。
≪「水縄連山(耳納山地)」は谷沢に刻まれた東西25㎞の保水力のある水源の山である。水耕稲作に必要な水量を必要な期間供給、棚田稲作の穀倉を潤した。『記・紀』神話は弥生文化を背景に語られている。今の平野部は未だ低湿地の荒野である。『記・紀』が古く見せたがっても馬脚を現している=太安万侶の仕込んだ鍵≫
*「高天原」の東西の入り口に「三春原(うらせばる)」と「牛鳴(うしなき)峠(とうげ)」がある。
・「三春原」は「うらせばる」と読む。東側にあるが普通では読めない。
“울쇠-벌”(ul-soe-beol)=「鳴く鉄・原」(直訳)=鉄が唸る原(意訳)。
・「牛鳴峠」=(soe-ul)峠=「鉄鳴く峠」=鉄が唸る峠。鉄⇔牛は同音。
・“울쇠”(ul-soe)=「五月蝿い」の語源か。製鉄の音は「ウルセェ!」。
・「高天原」には、東多々羅、南多々羅、西多々羅と製鉄地名がある。
方位から見て北風自然送風の製鉄炉か。「素盞嗚尊」追放前の製鉄集団跡か。
・「高天原」には「諏訪神社」=「“쇠-와”(soe-wa)鉄来る神社」がある。
古代に在っては、鉄を制する者が国を制した。「高天原」の東西の入り口が製鉄絡みの地名である。韓国の首都“서울”(seo-ul)は語源が諸説有って定まっていない。“쇠울”(soe-ul) の訛りを疑う。
Re: 「邪馬臺國」オタクの呟き - 福島雅彦
2024/11/22 (Fri) 20:41:57
談話室に投稿を試みましたが不成就でしたので、此処へ投稿します。
土田章夫さん、ご上梓おめでとうございます。
此処は討論室ではないので投稿を逡巡しましたが、已むに已まれず…。
『魏志倭人傳』の解釈に誤謬が在ると存じます。其れは下記の項目です。
<・不弥国から南水行20日で投馬国に至る。 投馬国から南水行10日陸行1月で邪馬台国に至る>
*「不彌國」の次に記載されていますが、文脈から「投馬國」水行記述の段落の為です。
・「末盧國」から「伊都國」へ陸行の続きで行ける、の意。郡使は「伊都國」から先へは行っていません。従って「南至水行二十日投馬國」の起点は「伊都國」です。
・「水行十日陸行一月」は「投馬國」「邪馬壹國」間の事ではありません。此れも文脈から読み解けます。「邪馬壹國」以北の九ヶ国は、北から順次南下しています。「狗邪韓國」「對海(馬)國」「一大國」「末盧國」「伊都國」「奴國-1」「不彌國」「投馬國」「邪馬壹國」です。以北の最後が「投馬國」とは「邪馬壹國」と東西に並んでいる、と述べているのです。
・「伊都國」~「投馬國」を距離ではなく、日数表記をしたので、郡庁~「伊都國」までの所要日数を記述して「萬二千餘里」の所要が判る様にしています。即ち、「水行十日陸行一月」の「水行」は外洋、「投馬國」への「水行二十日」は内陸と区別までしているのです。
・里数値を安易に現代地図の上に換算値で解釈するのも如何なものかと存じます。
Re: 「邪馬臺國」オタクの呟き - 福島雅彦
2024/09/23 (Mon) 18:49:57
(その8)
その他も国情説明文言の一部を国名と勘違いしている。
⑩「斯馬国」=志摩郡=“쇠메”(soe-meo)郡=鉄山國。九州大学キャンパス開発で、製鉄遺構出土。
⑬「伊都國」=「伊奘諾尊以来の国都」の意の縮約か。
現在「糸島」として、⑬+⑩が一つの地名となっている。
⑳「呼邑國」=大分県?宮崎県?児湯郡。「女王國」から「狗奴國」を越えた飛び地の意。
・因に、鹿児島は土地の人は「かごンま」と発音。”가건-마을”(kagon-maul)=「行った者の村」(直訳)。
・「薩摩」=“사”(sa)「投馬(つま)國」=「狗奴國」を挟んだ南の飛び地。薩摩の北端に接する「阿久根」=“아”(a)狗奴=「狗奴國」の端の意。
つづく、かも…
Re: 「邪馬臺國」オタクの呟き - 福島雅彦
2024/09/06 (Fri) 22:11:34
(その7)
21.「華奴蘇奴國」=「漢ン(の)祖ン(の)國」=徐福(秦人)が興した国の意。
・漢の前(さき=祖)郡=神崎郡(好字二字令)=現・神埼市=吉野ヶ里がある所。
・吉野の語源は、以前から歴代「卑彌呼」を輩出した土地の意としてきた。
・「吉野」=“여신-논”(yeo-sin-nun)=「女神の野(棚田)」。
・「田主丸」=“당신-마을”(dang-sin- ma-eul)=「貴女(卑彌呼)の村」。
・「吉野ヶ里」も「女神の里」と何代目かの卑弥呼を輩出した土地の意かと。
※『隋書』で裴世清は「秦王國」の存在を認識している。『三国志(魏志倭人伝)』の華奴蘇奴國が京筑地区へ発展展開したか、と。京都郡の現地名は「秦王國」の都が在ったからか。
*「裴世清」は「又東至秦王國其人同於華夏以為夷洲疑不能明也又経十餘國達於海岸自竹斯國以東皆附庸於俀(倭)」=「(竹斯國に居て)又東すれば秦王國(京筑)に至れる、其の人は華夏(中華)に同じで夷洲と為すも疑わしく明らかにする能わざるなり。
・又(竹斯國の東に)十餘國経ると海岸(別府湾)に達する。竹斯國より東は皆(秦王國と十餘國は)倭に附庸する」=伝聞記述で、裴世清は行っていない。
・即ち、裴世清は「竹斯國」から一歩も出ていない=畿内には行っていない。
※前項と「竹斯國」が二回登場するのは、最終目的地に居る事を意味している。
※「竹斯國」とは前史の国名の「末盧國、伊都國、奴國、不彌國、投馬國、邪馬臺(壹)國、(彌奴國)」を包括しているというか、それらが国情説明文言の一部であって国名で はなかった、と看破しての表記である。
※俀(倭)國には、都斯麻國、一支國、竹斯國、秦王國、十餘國とあるが、「阿毎多利思比孤」の他には王は居ないのである。
*「狗奴国」=「くな國」ではナイ!
・其(女王境界所盡)南有「狗奴國」とは。
・「高(氏)ン國」で、「女王境界所盡」とは、熊本県菊池郡。
・「女王國」との境界に幾多の「山口」地名。「山口」=「邪馬“끝”(ggeud)」。
・“끝”(ggeud)=端、ふち、先、終わり、しまい、果て、『民衆書林・韓日辞典』。
*「女王國東渡海千里拘奴國」=高知県。此れをして漢籍の記述が良い加減であるとする、「畿内説」論者が居るが、的外れである。此方は高知県の事である。熊本県とは別に存在しているのである。
※その証拠は…。
・「肥後モッコス」=“목곧이”(mog-goji)=一徹な人『民衆書林・韓日辞典』。
※この「高氏」は高句麗建国王「朱蒙」の姓の「高氏」まで遡及する、かと。
・土佐イゴッソ=“외-고집”(oe-go-jib)=意地っ張り、依怙地、頑固一徹。
この両県は県民性が共通していて同族である。
つづく、かも…
Re: 「邪馬臺國」オタクの呟き - 福島雅彦
2024/09/01 (Sun) 15:20:41
(その5)の追記。
*「奴國」は「なこく」ではナイ!
倭人が「なこく」と発音しても、中国正史の書記官は金輪際「奴國」とはしない!
(その6)
※此れ以降の「奴」は、格助詞の「の⇒ン」音便変化の音写である。
⑭「彌奴國」=三井郡御井町が疑われる。「彌」=「御」の高貴な方の意。
三井=徳間清水・磐井清水・朝妻清水、三泉の意。
御井=「卑彌呼」の井戸の意。
「味水御井神社」=「高良山」高良大社の麓にある。
・主祭神「玉垂尊」=“다-아-메-딸리”(ta-ama-ddal-li)尊=「全・天照大神」=歴代「天照大神」。左右に「八幡神と住吉神」を従える神格。
・「天照大神」=「天(あま・あめ)出自の大神」の意。「阿毎多利思比孤」も同伝。「卑彌呼」と重なる、「倭」の最高位の称号。固有名詞ではナイ!
17.姐奴國=「“서”(seo)ン國」=「西の國」=「邪馬壹國」の西に在る國。
19.蘇奴国=「“서”(seo)ン国」=「西の國」=「邪馬壹國」の西に在る國。
*上記「17.」と「19.」=「邪馬壹國」の西に在る國と倭人が國情説明した。
・同じ「西の国」の意が別の漢字が当てられたのは、発音の揺らぎを書き分けたからであろう。
18.對蘇国=「“두”(tu) “서”(seo)國」=「二つの西の國」と17.19の事を追加説明したものが、個別の国名として採られた。この項を纏めている最中に急に閃いた。今までは「土佐」の事かと考えていたが、隣接していないので違うのでは、と。17.と19.は東彼杵郡と西彼杵郡の事である。
・「邪馬壹國」の西の國=夕方の国=“저녁-이”(jeo-nyeog-i)=東・西彼 杵郡=長ノ﨑⇒好字二字令で訓読みし「長崎」の語源か。
・「邪馬壹國」の東の国=朝の國=“아침”(a-chim)=朝、あした<雅>(『民衆書林・韓日辞典』)。安心院(大分県宇佐市)は、朝がくる方位。(蛇足)
※(その7)「奴」=格助詞の「の⇒ン」の極め付け「華奴蘇奴國」へつづく
Re: 「邪馬臺國」オタクの呟き - 福島雅彦
2024/08/24 (Sat) 18:05:36
(その5)
>*「奴國-1」「奴國-2」と「烏奴國」の「奴」はこの「野國」の意であるが、他の国名の「奴」は格助詞の「の⇒ン」の音写で性質を異にする。
>⑥「奴國-1」=“논”(non → nun)國=野(棚田)國と説明した。
旧・筑紫郡=那珂川市から春日市に亘る、背振北麓一帯。
30.「奴國-2」=“논”(non → nun)國=野(棚田)國と説明した。
重出は一回りして元に戻ったのではないことを指している。「此女王境界所盡」。
水縄連山(耳納山地)北麓=北野・草野・竹野郡・大野原・星野である。
29.「烏奴國(うぅぬこく)」の「烏(うぅ)」=筑後弁で「大きい」の意。
・「大川」=「うぅかわ」=筑後川の意。
・「大風」=「うぅかぜ」=台風の意。
*大分県の「大野郡」が疑われる。
※「大野郡」と言えば、岐阜県と福井県に跨り、夫々の県より広大な面積の「大野郡」が在る。こちらも山の北斜面と無縁ではない。冬の積雪と用水の関係が存在する。
・現代の平野が穀倉地化する以前は、低湿地の荒野であった。毎年繰り返される大洪水で貴重な稲作は出来なかった名残である。
・筑後平野は低湿地の葦原で低平地は筑後川の氾濫原野である。徐福の「平原廣澤を得て王と為り不帰」とは、伴ってきた百官の中に低湿地の灌漑排水土木技術者が居たから、穀倉地化が出来た。その低湿地の争奪戦が倭国大乱であろう。
もう一つの「奴」(格助詞の「の⇒ン」)へ、つづく。
Re: 「邪馬臺國」オタクの呟き - 福島雅彦
2024/08/11 (Sun) 18:08:24
その他の国名に続くとしていたが(その4)の補足
>※「旧・竹野郡」=竹野(たかの)の「竹」は何故「たか」と訓じられているのか?
*上記の項で、「水縄連山(耳納山)」北麓の“논”(non → nun)國=野(棚田)國である。北野、草野、竹野(たかの)、大野原(古墳群)、星野と野(棚田)國地帯である。
と説明したが、山の北麓が鍵である。
冬の降雪が北斜面に降り積もる。この雪解け水が棚田水耕稲作の必要な用水を必要期間供給(ダムの役目)する。
・丹後半島の北斜面にも「竹野(たかの)郡」が存在している。同伝である。
*「奴國-1」「奴國-2」と「烏奴國」の「奴」はこの「野國」の意であるが、他の国名の「奴」は格助詞の「の⇒ン」の音写で性質を異にする。
その他の国名(その5)で詳述する。
Re: 「邪馬臺國」オタクの呟き - 福島雅彦
2024/08/06 (Tue) 18:03:21
(その4)
「倭國」の国名は、倭人が国情説明をした文言の一部を国名と勘違したものである。
※先ず、詳らかになる「邪馬壹國」以北の九ヶ国に就いて以下に示す。
①「狗邪韓國」、②「對海(馬)國」、③「一大國」、④「末盧國」、⑤「伊都國」、⑥「奴國-1」、⑦「不彌國」、⑧「投馬國」、⑨「邪馬壹國」=(「奴國-2」)。
①「狗邪韓國」=九人の倭の族長が治める國。「韓」=騎馬民族の「王や君主」の意の“haan・khan”の事である。蒙古の王=チンギス・はァん=ジンギスカン。
②「對馬國」=“두메”(tu-mæ)國=双山國(上・下県郡)=水縄連山(耳納山地)と筑肥山地の間の國の意=八女郡=「上・下妻(つま)郡」(倭名類聚鈔)と同義。
③「一大國」=「いってぇ國」「對馬國」が峻嶮な地形で良田が無いのに対比、島中「一帯國邑」を為す、との説明文言の「倭語」音写。
④「末盧國=「倭」の遣使や郡使(魏使)の渡航往来の無事を祀る処の説明文言の一部。官不在は伊都國直轄。本文の『…及郡使倭國皆臨津捜露伝送…』⇒郡使の到着地点を捜す。遭難漂着に備える⇒無事を祈念する処の意。
⑤「伊都國」=「伊奘諾尊」(伊珍阿岐王)が都した所の意の縮約形。
⑥「奴國-1.」=“논”(non → nun)國=野(棚田)國と説明した。背振山北麓の現・那珂川市から春日市に跨る棚田地帯。
⑦「不彌國」=徐福の一派の國?=尊不在の意か。
⑧「投馬國=“두메”(tu-mæ)國=双山國(對馬と同義)=水縄連山(耳納山地)と筑肥山地の間の國の意=八女郡=「上・下妻(つま)郡」(倭名類聚鈔)。
⑨「邪馬壹國=北から順次南下してきて最後が「投馬國」である。以北の最後であるとは、東西に並んでいる事を意味する。そして「奴國-2」と重なる。其処は「水縄連山(耳納山)」北麓の“논”(non → nun)國=野(棚田)國である。北野、草野、竹野(たかの)、大野原(古墳群)、星野と野(棚田)國地帯である。
※「旧・竹野郡」=竹野(たかの)の「竹」は何故「たか」と訓じられているのか?
*「高天原・高千穂」の「高」と同伝の「古代倭語(方言と朝鮮語に片鱗を留める)」。
である
(1).「高天原」
『古事記』書き出し、神話の舞台で神々がいる天上界の事を思わせる記述。
「天地初発之時 於高天原成神 名天御中主神<訓高下天云阿麻下效此>次高御産巣日神次神産巣日神 此三柱神者 …」に、<訓高下天云阿麻下效此>と註がある。
即ち「高天原」の「高」の下の「天」は「あま」と読み以下は此れに效く(倣う)、と。何故「天」を「あま」と読むかには触れていない。これは、時の権力者(藤原不比等)から隠蔽を命じられた太安万侶が反骨精神から、後世の賢者が読み解ける様に仕込んだ「鍵」と観る。私は、それを以下の通りに解読した。
≪ハングル=「古代倭語(方言と朝鮮語に片鱗を留める)」≫
*「高」=高低の意ではなく、寄って「集(たか)って」の当て字で 朝鮮語“다가-”(taka=[傍へ寄り付く、寄り添う、近付く、詰め寄る]と同じ語幹。
水縄連山(耳納山地)の東西≒25㎞の山頂かノコギリ歯状を呈している様を表現している。
*「天(あま・あめ)」とは…。
(イ)“아-”(a-)=朝の「あ・さ」=朝の来る方向(処)=東の意と同義。
東(あづま)(あ・詰(つま))=東の端。朝(あした)、明日 (あした)、(夜が)明ける、皆「あ」が付くのでもいえる。
朝鮮語の朝=“아침”(a-chim)=朝、あした<雅>(『民衆書林・韓日辞典』)。
NHKハングル講座(ラジオ) 講師イ・ユニ先生 2007年4月号。
[ハングル物語―母音字はどうつくられたか]
母音字は「陰と陽の調和」という自然の法則を基に作られています。
母音[a]=「天(太陽)が人の東」→朝の明るいイメージ。≪一部抜粋≫
(ロ)“메-”(mæ-)の母音は現代朝鮮語では“e”となっているが、本来は「ま・め」の中間音。故に「天(あま・あめ)」の両方に読める。
“메”=「山」の古語的表現(民衆書林・韓日辞典)。<前述>
「山」が(やま)なのは「天(あま)」の九州弁訛り。「蟻」を「やり」と訛る。
「山」は「(国の)東の聖なる山」=「高天原」限定用語だったのが他に敷衍した。
*「原=ばル」とは、“벌”(beol)=[原;野原(民衆書林・韓日辞典)]で、筆者註としては、「耕作地=邑」。
※従って、「高天原」=「東の山(聖地)に寄って集(たか)っている原」。
水縄連山(耳納山地)の東の端のうきは市(旧・浮羽町)の狭い谷間に、百箇所近くの「○○原」の字地名が犇(ひしめ)いている。此地に「日向」の地名が現存。朝日に向いた地の意で「筑紫の日向」(国生み神話の舞台)である。「○○日向」の地名が他に十二ヶ所。
「浮羽」の地名も[旭日原] =“욱일벌”(u-kil-beol)の語尾子音欠落発音である。漢字音由来なのは、「徐福」渡来後の影響か。「高天原」=「阿斯達」とも同義。旧・浮羽町役場の地名は「朝田」=「阿斯達」と同義=「朝日に輝く」の意。
・「高千穂」
*「筑紫の日向の襲の高千穂の槵触嶽」
・「筑紫の日向の」=妹川地区の日向。(うきは市立小学校前の元・日向バス停)
・「襲の」=“서”(seo)の=「西の」(10頁④方位)。
・「高千穂の」=「高」は前述「集(たか)る」の当て字。「千穂」は、水縄連山(耳納山地)の山頂がノコギリの歯状を呈しているのを「千の穂」と描写。
・「槵触嶽」=水縄連山(耳納山地)の山腹が、千本の櫛の歯で梳った様相をしている描写である。「触る」⇒“훑”(ful)=扱(しご)く(民衆書林・韓日辞典)でもある。火瓊瓊杵尊は「膂宍(そじし)の胸副(むなそう)國」を丘続きに歩いた、ともある。
・「膂宍の胸副國」=痩せた動物の背骨(山頂のノコギリの歯状)と肋骨が浮き出た(櫛触る)様、のことである。水縄連山(耳納山地)の稜線描写であろう。
※其処で、天津彦彦火瓊瓊杵尊は「此地は韓國に向ひ笠紗の御前にま来通りて、朝日の直刺す国、夕日の日照る国なり。かれ此地ぞいと吉き地」と詔りたまひて…、と。
ここからは、二日市地溝帯の御笠山(宝満山)の御前を引き通して韓國(からくに)が真正面になると強調。韓國(からくに)とは「駕洛國」「狗邪韓國」の半島倭人の故地(同胞=はらから)の意である。大韓民国の意ではない。
その他の国名に続く
Re: 「邪馬臺國」オタクの呟き - 福島雅彦
2024/08/01 (Thu) 21:13:09
(その3)
※郡使(魏使)は「伊都國」から先へは行っていない。
何故「伊都國」の次に「東南至奴國百里…東行至不彌國百里」と記述しているのか。
・「郡使往来常所駐」=郡使が來倭し常に留まる所=単に「滞在する」だけの意味ではなく、「駐」の旁の「主」は「とどまる意味。馬が立ちどまる意味を表す」『大漢語林』(大修館書店)。
・「東南至奴國百里…東行至不彌國百里」の解釈=行程の書き順が「方位+距離+国名」から「国名+距離」に変わり「又」の記述が無い。
・「東南に百里で奴國に至れる、更に東に行けば百里で不彌國に至れる」の意。
・「行」が不彌國にだけ使われている。郡使は伊都國から先へは行っていないが、陸行の続きで行ける、と。=投馬國水行への段落の為の表現である。
*「從郡至倭海岸水行…東行至不彌國百里」の「從」と「行」が連続行程の始
点と終点を意味している。
・≪【説文解字】「从彳亍。彳,小步也。亍,步止也。」より抜粋≫
・行人偏の「彳」は、「∴=歩き始め」で「亍」は「步止也=歩みを止める」と。この解釈から重要な事が判った。「水行十日陸行一月」=帯方郡~伊都國まで、だと。
・「参問倭地…周旋可五千余里」=「郡使が踏査した倭地は延べ五千餘里」と明記されていて「奴國-1」と「不彌國」は其の範囲外である。
「倭國」の国名は、倭人が国情説明をした文言の一部を国名と勘違したものである。へつづく
Re: 「邪馬臺國」オタクの呟き - 福島雅彦
2024/07/27 (Sat) 21:36:49
(その2)
郡庁(楽浪郡徼=帯方郡)から「邪馬壹國」への行程図
楽浪郡徼=帯方郡郡庁
↓從郡至倭海岸水行(郡治の海岸・千五百里=六日)
↓ 歴韓國乍南乍東 (陸行)
↓(韓地+狗邪韓國=五千五百餘里=二十七日半)≒二百里/日
狗邪韓國=倭地まで(七千餘里)
↓ (洛東江沖巨済島経由・水行二日)
「對海(馬)國」(千餘里)
↓ (水行一日)
一大國(千餘里)
↓ (水行一日)
末盧國(千餘里)
↓ (東南陸行五百里=二日半)累計=萬五百餘里
↓ (從郡至倭(郡使常駐の倭地)……水行十日陸行一月)
伊都國 → 奴國 → 不彌國
↓ (東南至百里) (東行至百里)
↓≪郡使往来常所駐≫=伊都國より先へは行っていない。
↓(千五百餘里 )
↓(水行二十日=瑞梅寺川→今津湾・博多湾→御笠川
↓ →宝満川→筑後川→有明海→矢部川⇒投馬國)
↓ ↓→巨瀬川→筑紫の日向↓
以北が成立する⇒投馬國(西) ⇔ (東)邪馬壹國
郡庁より萬二千餘里女王之所都
※倭(伊都國=郡使常所駐)に至るには水行十日陸行一月。
※参問倭地…周旋可五千余里=実際に郡使が観て廻った倭地は延べ五千餘里 。
狗邪韓國(千五百里=逆算)+三海峡横断(三千餘里 )+末盧國~伊都國(五百里)=五千餘里 。韓地は方四千里《陸行六千餘里÷一月 ≒二百里/日》
原稿の作図通りには転載できなかった。
「東行不彌國」につづく