東アジア討論室
倍暦の正体 - オヤジッチ
2025/06/10 (Tue) 10:56:38
2016年11月 7日(月)の改訂・再投稿
古くは明治時代にデンマーク人ウィリアム・ブラムセンが類似した説を唱えたほか,初期の天皇たち(特に第2代綏靖天皇から第9代開化天皇までの所謂欠史八代)の事績や実在性そのものが疑問視されるようになったのに対し、坂本太郎(1901年(明治34年)10月7日 - 1987年(昭和62年)2月16日、東京大学名誉教授、國學院大學名誉教授)や鳥越憲三郎(1914年2月8日 - 2007年3月23日、東京教育大学文学博士、大阪教育大学名誉教授、大阪経済法科大学教授)をはじめとする幾人かの日本人学者がこの説を提唱した。
典型的で広く広まったのが、古田武彦「倭人2倍年暦説」だと思われます。
『魏略曰 其俗不知正歲四節 但計春耕秋收爲年紀』(魏略曰く、その風習は正しい年暦と四つの節分を知らず、ただ春の耕作と秋の収穫を計って年紀としている)、
つまり「“正”しい“歳四節=節気(春分、夏至、秋分、冬至)”を知らず、耕作の季節と収穫の季節だけを年の単位(一年)としている。」と言うのが正しい解釈。
古田はこれを《倭人は「春耕」と「秋收」の二点を「年紀」とする、つまり「一年に二回歳をとる」》と解釈した。
この記述を根拠に倭の年数を二倍に解釈するのは牽強付会。
百歩(万歩か!)譲っても、それなら、注釈として「倭人は一年を二年と数える」と書くでしょう。
二十四節気は、中国の戦国時代の頃に太陰暦による季節のズレを正し、『季節を春夏秋冬の“4等区分”にするために考案された“区分手法”の1つ』で、1年を12の「中気」と12の「節気」に分類し、それらに季節を表す名前がつけられている。
古代の天皇の寿命を二分一(or四分一)すると現実的な数字になるから、二倍暦(or四倍暦)は正しいとするのは循環論法でしょう。
Re: 倍暦の正体 - 石見介
2025/06/19 (Thu) 15:51:28
p君さん
纏向石塚古墳の小枝だったかの炭素14年代を根拠とする、年代観そのものには、考古学を不得手とする私には、特に異議を申し立てる気はありません。
ただ、最近、歴博か奈文研だったかが、年代を古く見直したとかいう談話室の投稿は、気になっています。
一応上記年代を受容し、卑弥呼の即位年も,p君さんの説同様に受容して、その上で、p君さんと説が異なるのは、「資料批判」で、根本的に、p君さんと違うからです。
〉仁見時代を倍暦で2世紀末で説明しなければなりません。〈???この前のp金さんの前提部分「倍暦であったといわれるなら」と、何なの脈絡もなく、話を進めている事は、ご理解できないのですね。
「平均在位年数」論という、私が認めていない「仮説・解釈」を前提にして、論じていると言う認識が無いのですね。
「屁理屈」運運の御批評は、そおまま,p君さんいお返しいたします。
オヤジッチさん他、私達の議論を覗いている方のために、資料批判の相違点を、注記しておきます。
①『魏志倭人伝』に於ける卑弥呼について:
p君さん説、
卑弥呼は、神武皇后のヒメタタライスケヨリヒメである。
石見介解釈
卑弥呼は、婚姻歴が無く、子供もいない。五は、卑弥呼の弟が「佐治」していると記述しており、常識的にも、冊封する王の世継ぎの子供の存在を、知らぬはずもない。源に「弟」の存在は、明記している。
②『後漢書倭伝』の帥升について
p君説
帥升は「スサノヲ」である。
水晶の土下座外交を隠すため、記紀は、虚偽の記載をしている
石見介説
推奨は、「倭国王」ではなく、大倭王の配下の小国「面土国」の王であり、大倭王野使節団の正史である。記紀は、基本的に中国の皇帝への従属を認めず、対等とするが、記紀撰述時の遣唐使なども、形式的に葉「朝貢」である事は、当時の日本支配層の認識であった。
平均在位年数論や倍暦存在論については、省略します。
編集未済
Re: 倍暦の正体 - p君
2025/06/18 (Wed) 22:04:29
大和に纒向石塚と言う前方後円墳ができるのが年輪年代で177+18年、おおよそ2世紀末、それは卑弥呼の即位のころ、つまり倭国大乱の時期です。
大和においてこれほどの大変革は「ニギハヤヒ・神武」の時代としか考えられません。
石見介さんのように古代は倍暦であったと言われるなら、「ニギハヤヒ・神武」時代、いやニギハヤヒを実在としないとしても神武時代を倍暦で2世紀末で説明しなければなりません。
ありとあらゆる屁理屈をこねても、そんなことは到底無理でしょう。
Re: 倍暦の正体 - p君
2025/06/16 (Mon) 20:53:51
オヤジッチさん
>「15歳以上に達した者の平均死亡年齢の時代変遷」(日野歯科医院HPより)
以下、うろ覚えですいません。
その数値は、発見された人骨の歯や関節の摩耗具合から生物学者の方々が出した数字ですが、
さすがにその数値では次世代への文化継承・伝達ができないではないかという意見もあり、
また縄文時代だったかの遺跡からかなり高齢のまとまった数の人骨も発見され、
人骨の腰だったかの一部分(名称は忘れました)を見る手法では、もう少し数値が上がるとも聞いたことがあります。
とはいえ、あくまで平均値の話ですから、そんなには上がらないとも思われ、古墳時代で30代中頃から後半くらいかなと、考えてます。
首長層はもう少し長生きではあったと思いますが。
Re: 倍暦の正体 - 石見介
2025/06/16 (Mon) 15:23:17
オヤジッチさん
古田武彦氏の所説からの脱却の過程は、私も似たようなものですが、どうも私は、形態学が苦手のようで、考古学での土器の型式論等は、理解できないので、結局は、多くの専門家の書を読むうちに、古田氏の方法論の欠陥に気付いて、他の専門家の所説を受容する部分が、増加して、いつの間にか、邪馬台国近畿説の蓋然性が高いと、考えるようになっていた、というのが、実際です。
考古学の本も、それなりに読んだつもりですが、当会入会後に、会員の方々の考古学の知識の水準の高さに驚き、私は以後考古学の本は読まないことにして、手持ちの本約40冊を、会に寄付しました。
雑誌の寄付は受け付けないとの事なので、『季刊考古学』等が残っていましたが、今回のサ高賃入所で、すべての書籍を手放しました。
文献の「ウソ」については、当然前提です。
「科学とは、疑う事から、始まる」というのが、私の受けた教育ですし、生物科学の応用分野である臨床医学での専門職としての訓練は、基本的には何でも疑います。
特に、自分の診断は、常に検証の対象です。
過信して、誤診すれば、医療行為は、傷害行為です。刑法上の傷害罪を、免責されるのは、善意と何らかの猶予されるべき事情が、有った場合のみです。
閑話休題、倭人の「寿考」は、勿論、伝聞情報ですが、これは、政治的思惑の入らない習俗記事であり、著者の陳寿は、史書を書くための才能は有していても、必要な金銭的資源や人的資源には、欠如しており、原史料の簡潔な引用のみで、真偽や実態の考証まで、行う余裕など、無かったと私は、考えています。
『三国志』に、史註を付した裴松之は、
その為「魏略曰」と「春耕秋収」記事を付し、倭人の年齢の数え方が、「1年2歳」である可能性を示唆したと、私は、解釈しています。
尚、平均寿命、この場合は、15歳時の平均余命ですが、米田さんのトピでの問題の焦点は、「世代交代」の平均的年数です。
これは、安本美典氏やp君さんが、神代の「天照大神」から、後代の天皇までを、実在の人物として、「平均在位年数」(後代の実在と思われる天皇の在位年数の平均)から、天照大神=卑弥呼、神武皇后=卑弥呼とする事の恣意性を指摘し、神武以降の「人代」の天皇の「系譜」の方が、まだしも史実の反映である可能性が高い、とする私の立場からの、神武天皇の年代を探る試みから、必要な、平均世代交代年数の推測ですから、平均余命は、関係はありません。
米田さんの系譜論からの、女性の世代交代の平均年数とも、おそらく、関係はないでしょう。
記紀の神話、伝承が、いかなる性格のものかは、まさに、私の「日本神話を考える」スレの主題でした。
神話その物は、どのような未開民族でも、普遍的に存在するものですが、国家形成段階に到達すれば、支配層が、支配の正当化のために、天神やその子や孫等の降臨伝承を作るのも、汎世界的現象です。
印欧語族やトンガ王国の例も、紹介しています。
インド神話は、印欧語族系神話なので、北欧神話や、ギリシャ神話などとも比較されますが、いわゆる「カースト」制(ヴァルナ)については、印欧語族が形成された時点で、神官、士族、平民の3階級は存在していたと考える説もあります。(デュメジル、「3機能仮説』等)
これに被征服民の「奴隷」という4番目の階級が加われば、4つのヴァルナ(原義は「色」、カーストは、ヴァルナの下位区分で、サブカーストを意味する)が、成立します。
記紀神話には、扶余系神話ではない要素も多く、史実の投影された部分が、どこなのかが、我々、古代史愛好家の興味の対象に、なるのでしょう。
最終編集:6月17日15時20分、
倭人の平均寿命 - オヤジッチ
2025/06/14 (Sat) 17:00:27
「15歳以上に達した者の平均死亡年齢の時代変遷」(日野歯科医院HPより)
縄文時代: 男31.1歳/女31.3歳
弥生時代: 男30.0歳/女29.2歳
古墳時代: 男30.5歳/女34.5歳
室町時代: 男35.8歳/女36.7歳
江戸時代: 男43.9歳/女40.9歳
Re: 倍暦の正体 - オヤジッチ
2025/06/14 (Sat) 15:32:45
当世奇妙、お久しぶりです。
2016年11月 7日(月)に登校してます。
同じことの繰り返しになりそうで、ROMってましたが、『「平均寿命」とか「2倍暦」の話 - p君』に反応、改訂しました。
石見介さん、○○は。
私も、日本古代史に興味を持つ様になった当初、古田武彦氏の著書(共著を含む)を数冊読みました。
その後、考古学関係の専門家の方へ(-_-;)
古田武彦氏の説の多くは文献の解釈ですが、“倍暦”“南米に縄文土器”その他(『東日流外三郡誌』は言いますまい)などで決別しました。
> その根拠は、『魏志倭人伝』の習俗記事の中に、倭人の「寿命」についての記載で、80歳~100歳、とある事です。
↑『其人壽考或百年或八九十年』ですね。
これは正確なんですかね。
当時の倭人からので伝聞だと、私ならこの後に「倭人は一年を二年と数える」と注釈しますネ(^O^)
以前から言ってますが、“文献”は雄弁ですが、間違いや嘘も言います。
「記紀」の神話はヤマト政権が支配権を正当化する為のもの(創作したのは百済からの亡命貴族)(世界中にれ類例があります。―極端なのがインドのカースト―)というのが私の解釈です。
Re: 倍暦の正体 - 当世奇妙
2025/06/11 (Wed) 19:33:43
オヤジッチさん
久しぶりですね。
全く「ずれた」コメントですが、おやじっちさんが
何故、今二倍歴投稿か??とびっくりしました。
長い付き合いですが、オヤジッチさんのこのような内容の投稿は私は始めてみました。
ところで、何故今「二倍歴」を投稿しようと思ったのですか?
Re: 倍暦の正体 - 石見介
2025/06/11 (Wed) 18:14:32
オヤジッチさん
米田喜彦さんのスレが存在するので、どちらかにまとめて議論した方が、良いと思います。
どうも、討論室で、細切れのスレが乱立して、コメントしようと思っても、面倒くさくなり、やめてしまいます。
さて、私は、そもそも、日本古代史に興味を持つ様になったのは、古田武彦氏の『邪馬台国は無かった』というベストセラーを、大学紛争中の暇つぶしに読んでからですので、当然ながら、最初は、邪馬台国九州説の信奉者で、以後、安本美典氏ら、読書範囲が拡大するにつれ、転向を繰り返し、現在は邪馬台国位置論では、近畿説を、おおむね、採っています。
しかし、倍暦については、現時点でも、かなり可能性が高い、という考えです。
その根拠は、『魏志倭人伝』の習俗記事の中に、倭人の「寿命」についての記載で、80歳~100歳、とある事です。
これは、帯方郡の郡吏が、倭人からの伝聞情報を、記録したものだと、私は考えています。
後は、日本側の後代資料の解釈になりますが、倍暦論者の中で、最も精緻だと思ったのは、貝田禎造『古代天皇長寿の謎』中の論考でした。