東アジア討論室
スレ「FC2のロビー・談話室11」 - 管理人
2024/10/28 (Mon) 15:16:59
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ここは、スレ「FC2のロビー・談話室10」の続きのスレです。
レスが50を超えたので、新しいスレを立ち上げました。
PS:投稿される方へ
:表紙画面(トップ画面)の投稿枠は、新規スレ作成用です。
:(各スレに対して)投稿をされる方は、
:下記の要領で、投稿をお願いします。
:各スレ(タイトル)をクリックすると、各スレが表示されます。
:画面をスクロールして、一番下まで下げていくと、
:投稿用の枠が出て来ます。
:投稿用の枠に、直接記入、あるいは、コピペで
:投稿できます。
:「環境依存の文字」や「古い文字」が含まれていると、
:投稿が出来ないことがあります。
:メールアドレス・URLの記入は、不要です。
:なお、画像ファイルには、500KBの制限があります。
:「編集/削除キー」(英数4~8文字)は、
:パスワードのことです。
:一度、登録して投稿すると、変更しない限り保存されます。
Re: スレ「FC2のロビー・談話室11」 - 米田
2024/11/20 (Wed) 11:26:30
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<当会会員研究会発表会>
■発表者 (各発表の内容は、コメント欄に掲載)
1)10:00~10:45 諸岡 かおり 『神武天皇論 ―「神武
天皇=徐福説(衛挺生)」と現在の神武天皇論から考える―』
2)10:50~12:00 赤尾 恭司 『三国時代における
「栄山江流域」とは何か……「栄山江流域」=任那 説』
3)13:00~14:00 槌田 鉄男 『新しい騎馬民族説の提案』
4)14:10~15:20 下山 繁昭 『川原寺の国際性について』
5)15:30~16:50 小原 理一郎『イタリア、
___サルデーニア島の古代遺跡とヌラーゲNuraghe文明』
6)17:00~17:50 河原 宏
_______『邪馬台国から平安時代までの経済成長』
:三番目以降の方の、感想を書きたいのですが、
:実際のところ、ほとんど聞いていませんし、
:いただいた資料も、ほとんど見ておりません。
:ですので、感想は、書けませんでした。
:
:ということで、一連の講演会・シンポジウムの感想は、
:これで終わりにしようと思います。
:後日、スレが立ち上がった時には、
:参加して勉強しようと思います。
:一気に書いたものですから、
:1年分のエネルギーを使い切った感じです。
:少し休憩します。
Re: スレ「FC2のロビー・談話室11」 - 米田
2024/11/19 (Tue) 15:51:59
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<当会会員研究会発表会>
二番目の発表の「任那」については、まとまりしだい、
別スレの方に、投稿しようと思います。
一番目の追加。
┌
│ここで注目すべきは徐福が琅邪の人であることだ。
└
:琅邪の出身には、いろんな人がいたと思います。例えば、
:「楽浪王氏」の出身は、「琅邪王氏」ではないだろうか。
:
:半島の伝承に、下記があります。
「BC 209年、豊の 69世孫・蘇伯孫が辰韓を建国したと言う。」
:彼は、蘇因高(小野妹子)の先祖に当たると、思っています。
:このBC209年の「蘇伯孫」こそ「天御中主神」ではないかと
:考えています。
┌
│BC57年、13歳の朴氏・赫居世が即位した、
│国号を「徐那伐」といった。
└
:朴氏の赫居世が作った国は、「徐那伐(徐氏の国)」です
:ので、徐福とは、何らかの関係があるかも知れません。
Re: スレ「FC2のロビー・談話室11」 - 米田
2024/11/19 (Tue) 12:43:15
<当会会員研究会発表会>
11月17日(日)ZOOM参加。当会会員研究会発表会(部分参加)
:11月14日(木)、メールの添付で、資料が送られてきました。
:発表会の3日前で、6人の発表で、各人の資料が多く、
:文字の多さに、読むことを断念しました。
:
:当日は、午前中、普段とは違うノートPCを使ったところ、
:音が小さく、発表を聞くのに苦労しました。
:午後は、スマホを利用して、ほぼ音声だけをイヤホンで
:聞いていました。画面は小さいので、目が痛くなるので、
:(画面は)諦めました。
:一番目は「神武天皇論」。(以下は、私の印象、感想です。)
:
:神武即位BC660年説。神武天皇=徐福(BC203年頃即位)説。
:皇祖太白説。渡会神道(による系図改ざん)。など。
:諸岡さんは、色々な説を紹介していたのだろうと思います。
*****
『環濠集落(かんごうしゅうらく)』(ウィキペディアより)
弥生時代
環濠集落は稲作文化と同時に大陸から伝来し、
列島東部へ波及したと考えられている。
しかし、2世紀後半から3世紀初頭には、弥生時代の
集落を特徴付ける環濠が各地で消滅していく。
この時期に、西日本から東海、関東にかけて政治的状況が
大きく変わったことを示すものとして考えられている。
*****
:「神武天皇」を論じるには、色々あるとは思います。
:とはいっても、「池上・曽根遺跡」や「唐子・鍵遺跡」を
:調べる中で、「神武天皇」が存在していたとすると、または、
:「神武東征」があったとすると、「環濠集落」の変遷から、
:その時期は、「2世紀後半から3世紀初頭」が一番有力です。
:
:10代祟神天皇を300年頃として、1代30年で、9代遡ると、
:AD30年頃です。これでも、(神武天皇は)1世紀前半です。
:この時点で、
:BC660年説と、神武天皇=徐福(BC203年即位)説の二つは
:(即座に)除外(却下)されると思います。
:
:いろんな「神武天皇説」が、過去から現在まで、色々あって
:面白いね、という感想を(発表者が)期待しているのであれば
:発表会での発表の価値は、あったのでしょう。
(個人的な感想でした。)
Re: スレ「FC2のロビー・談話室11」 - 米田
2024/11/18 (Mon) 11:43:57
「古代出雲文化シンポジウム」
「六世紀の出雲とヤマト(出雲の大型古墳を語る)」
表題が漠然としていたのと、
以前、YouTubeでみた「松木」さんの講演が
あまりにも素晴らしかったので
今回のシンポジウムには、あまり期待は
していませんでした。
感想をまとめて書きます。
先生方の講演は、素晴らしかったです。
出雲の魅力の再発見が出来ました。
また、近畿・九州とのバランス(比較)も大変良かったです。
講演だけでしたら、来年には、YouTubeで公開されると
思いますので、見る価値はあると思います。
約4時間、坐ったままだったので、少しきつかったです。
シンポジウムという形式でしたが、私には、「紅白歌合戦」
(テレビ番組)の現場収録に立ち会った、という感じでした。
パネルディスカッションも台本通りに進んでいて、
まさに(テレビ放送の)収録現場の様相でした。
YouTubeで公開されるものを、約4時間、坐ったままで見ている
価値があったかどうかは、意見は分かれると思いますが、
39頁の資料をいただいて、約700人(満席)の多くの方が
来場されている雰囲気を味わうことが出来たので、
参加して良かったと思っています。
私は、系図オタクですので、仁徳天皇紀に出てくる
「淤宇宿禰(意宇足奴命)」の墓が、出雲の前方後方墳の
主らしい、という発表が、一番記憶に残っています。
手元の系図集には、「毛呂須命」が出て来ます。私は、
これは、「母呂須玖(但馬諸助・モロスク)」ではないかと。
そうすると、「淤宇宿禰(意宇足奴命)」は、
「母呂須玖(但馬諸助・モロスク)」の子孫ではないだろうか。
これは、楽しみです。ワクワクしています。
うまくいけば、前方後方墳の謎が解けるかも知れません。
系図オタクとして、楽しみがひとつ出来ました。
Re: スレ「FC2のロビー・談話室11」 - 米田
2024/11/18 (Mon) 10:39:17
:北東北歴史懇話会。
*****
古墳のない地域の歴史をどう語るか?
ー弥生・古墳時代併行期の北東北の様相ー
主旨
稲作農耕や青銅器で知られる弥生時代には社会階層が生まれ、
やがて畿内を中心に巨大前方後円墳を築く初期国家が形づく
られます。中国の史書に描かれる倭の五王が、東アジアを
相手に活躍した古墳時代の到来です。
この激動の時代、北東北では何が起こっていたのでしょうか。
この地域では縄文文化に系譜をもつ本州北端の弥生文化と、
北海道から南下した続縄文文化が共存していました。
その後に古墳文化の集落が北上しますが、大規模な古墳は
最後まで築かれませんでした。
*****
:「えみし」といわれる人たちは、どんな人たち?
:「えみし」は、どうなったの?
:「えみし」は、本当に、秋田県人の祖先(ルーツ)なの?
:秋田県人たちの祖先である。「えみし」って何だろう?
:という疑問に対する、何回目かのシンポジウムでした。
:パネリストの方々は、懇話会会長の意図を汲んで、
:悪戦苦闘している様子が(終わり頃になって)分かりました。
:最後の方で、北緯39度40度の話になって、急に話が
:盛り上がりました。
:結局、「えみし」は、分かりません。これが結論でした。
:私がこだわったのは、下記の記述でした。
┌
│横手盆地における竪穴建物跡の特徴…
│①カマドがなく、炉が設けられる(地床炉または灰穴炉?)
└
:この表現(表記)は、専門家向けの現場の報告書としては、
:ベストの表記です。
:でも、この表記は、素人の私には、つらいです。
*****
『竪穴式住居(たてあなしき-)』(ウィキペディアより)
:竪穴式住居、または竪穴建物(たてあなたてもの)・竪穴住居
:は、地面を掘り下げて床とし、その中に掘立柱を建てて
:梁(はり)や桁(けた)、垂木(たるき)を組み、
:土や植物(葦など)で屋根を葺いた建物である。
:
:炉(地床炉・石囲炉・土器埋設炉・土器囲炉・粘土床炉・
:石床炉など)は、煮炊き(調理)や照明、鍛冶作業などに使用
:され、特に地床炉は縄文時代から古代まで普遍的に存在した。
:古墳時代中期にカマドが出現すると、調理施設としては
:カマドに交代していくが、炉自体はなお存続した。
:縄文時代中期末から後期にかけての新潟県から福島県以北の
:地域では「複式炉」と呼ばれる特殊な石囲炉が存在した。
:
:カマドは、主に竪穴壁に造り付けられた調理施設で、粘土を
:盛り上げてトンネル状の燃焼部(焚口)をつくり、上に開けた
:穴(掛口)に甕と甑を掛けて蒸し米作りや煮炊きを行ったもの
:である。
:竪穴壁をくり貫いて建物外に排煙する煙道(えんどう)を持つ
:ものが多い。
:古墳時代前期(4世紀)に九州北部や近畿地方で徐々に
:出現し、同時代の中期(5世紀)から後期(6世紀)にかけて
:東日本まで急激に普及した。
*****
┌
│横手盆地における竪穴建物跡の特徴…
│①カマドがなく、炉が設けられる(地床炉または灰穴炉?)
└
:これは、同じ時代の西日本の状況と比較してみるとか、
:同じ場所での、違う時代のと比較(変化)の中で
:説明がないと、素人には、伝わらないものです。
:考古学の同業者には、伝わるレベルの話でした。
:
:「かまど」と「炉」という切り口で、
:「えみし」を語ることも出来たのではないか。
:たとえ、結論は「分からない」であったとしても、
:興味が湧いたような気がします。
:
:また、「北緯39度」「北緯40度」の話は面白そうでした。
:今年は、
:「古墳のない地域の歴史をどう語るか?」という演題でした。
:
:ぜひ、来年は、リベンジとして、
:『古墳のない古墳時代。北緯39度40度の「えみし」のくらし』
:(こんな感じのシンポジウム)をしてほしいなと感じました。
:こんな表題でしたら、多くのひとが関心を持たれるのでは
:ないでしょうか。
Re: スレ「FC2のロビー・談話室11」 - 米田
2024/11/18 (Mon) 10:32:02
:今までは、月1回のZOOM参加でも体力的には少しきつい
:かなと思って、講演会の参加を控えめにしていました。
:この1か月は、久しぶりに、会場参加をして、さらに
:ZOOMも参加しました。
10月19日(土)ZOOM参加。当会講演会『土器を掘る』
10月27日(日)会場参加_。古田史学の会・講演
11月10日(日)ZOOM参加。当会講演会「和鉄」
11月16日(土)ZOOM参加。北東北歴史懇話会・シンポジウム
11月17日(日)会場参加_。古代出雲文化シンポジウム
11月17日(日)ZOOM参加。当会会員研究会発表会(部分参加)
:17日には、シンポジウムの会場での休憩時間とか、帰りの
:電車の中まで、イヤホンで音声のみですが、会員研究の発表を
:聞いたりと、気力・体力の限界を感じた一日でした。
:持病の慢性腎臓病が悪化しそうで、怖いです。(笑)
:この一か月の印象(感想)を書きます。
:「古田史学の会」は、創立30周年でした。
:「九州王朝」的な結論に、こだわるあまり、理論武装が、
:言葉通りの理論武装になっているような気がしました。
:
:
:「古墳文化」・「鏡」・「土器」・「和鉄」については、
:「騎馬民族説」の探求と邪馬台国はどこか、日本人のルーツ。
:当会の目的は、この三つだろうと思います。
:結論を急がず、いろいろな方面からアプローチしていて
:良いとは思っています。
Re: スレ「FC2のロビー・談話室11」 - 米田
2024/11/16 (Sat) 09:32:55
(予習)
┌
│北東北歴史懇話会 2024 年度
│オンラインシンポジウム(2024/11/16)
│「古墳のない地域の歴史をどう語るか?
│―弥生・古墳時代併行期の北東北の様相―」
└
『末期古墳(まっきこふん)』(ウィキペディアより)
:末期古墳とは、7世紀から10世紀にかけて東北地方北部と
:北海道道央の石狩低地帯に造られた、円形を基本とし、
:土盛りが余り高くなく、周濠を伴う墳墓である。
:
:分布と築造年代
:末期古墳は東北地方の青森県、岩手県、秋田県と宮城県北部、
:そして北海道道央の石狩低地帯に分布している。
:
:築造年代は7世紀初頭から10世紀にかけてとされる。
:末期古墳は多くの墳墓が密集して造られる群集墳のような
:形で造られ、青森県の阿光坊古墳群のように、多い場合
:では100基を越える末期古墳で構成されることもある。
:
:一方、末期古墳が造営された地域の南にあたる宮城県
:中南部では、4世紀頃から7世紀にかけて、
:前方後円墳をはじめとする古墳が造られており、・・・。
:
:墳形と規模について
:形は楕円形のものや方形に近いものも少数見られるが、
:基本的に円形をしている。
:墳丘の周囲には周溝があるのが基本である。
:墳丘の規模は直径5メートルから10メートルのものが
:ほとんどで、最大でも17メートル程度である。
『終末期古墳(しゅうまつきこふん)』(ウィキペディアより)
:終末期古墳は、古墳時代末から飛鳥時代にかけての
:7世紀頃の古墳を指す。
:
:墳形
:墳形には、円墳・方墳・八角墳・上円下方墳などがある。
:天皇陵に限っては、前方後円形から大型方墳に変わり、
:次に八角墳が採用されることになる。
*****
横手盆地における竪穴建物跡の特徴…
_①カマドがなく、炉が設けられる(地床炉または灰穴炉?)
「かまど」と「炉(いろり)」の違い
Re: スレ「FC2のロビー・談話室11」 - 米田
2024/11/15 (Fri) 23:43:21
「夜見ケ浜人」の人骨の番組を見ました。
日経新聞の内容以上の話はありませんでした。
日経の記事から半年が経っているので、
何か進展があるかと期待していたのですが、
(記事以上の)進展の話はなかったです。
「化石骨」という話は、面白かったです。
年代測定などの詳しい研究の成果は、
年代測定が可能かどうかを含め、
数年先のお楽しみ、ということのようです。
Re: スレ「FC2のロビー・談話室11」 - (管理人)
2024/11/15 (Fri) 08:18:09
(番組の紹介です。)
#日本最古の人骨発見!?
初回放送日:2024年11月15日
(日経新聞の記事)
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUE113ZB0R10C24A5000000/?msockid=2ee29a7b514766823623923950cd67d6
Re: スレ「FC2のロビー・談話室11」 - (管理人)
2024/11/02 (Sat) 17:15:05
(FB談話室からの転載です。)
岡嶋 隆司
4日前 ·2024年10月28日(月) 23:03 ·
清家 章
5日前·2024年10月28日(月) 14:45 ·
クラウドファンディングにご協力いただき、
ありがとうございます。
クラウドファンディング期間も残すところ、10日となりました。
引き続きご協力の程どうぞよろしくお願いいたします。
Re: スレ「FC2のロビー・談話室11」 - 管理人
2024/10/28 (Mon) 15:21:27
(FB談話室からの転載です。)
東アジアの古代文化を考える会
作成者: Naoko Urushibara
1日前 ·2024年10月26日(土) 21:08
中島庄一
3日前 · 2024年10月 24日(木) 13:49
韓半島製の渦巻装飾付鉄剣・韓半島製の土器が出土
北信濃弥生時代 東アジアの歴史の舞台に足をのせている
**********
北信州 木島平村(長野県下高井郡木島平村)
https://www.vill.kijimadaira.lg.jp/articles/2024102400016/
令和6年度 根塚遺跡シンポジウムについて
公開日 2024年10月25日
根塚遺跡シンポジウム開催のお知らせ
令和の再整理調査の結果、新たな展開があった根塚遺跡に
ついて、シンポジウムを開催いたします。
弥生時代研究の最前線で活躍される先生方をお招きし、新しい
根塚遺跡の発見やその魅力についてご講演いただきます。
開催日時・会場
シンポジウムは、次のとおり東日本編、西日本編の2回に
わけて開催します。
東日本篇
日時:11月17日(日曜日)午前10時から午後4時45分
会場:若者センター1階研修室
西日本篇
日時:11月30日(土曜日)午前10時から午後4時30分
会場:若者センター1階研修室
シンポジウム詳細
詳細はチラシをご確認ください。
根塚遺跡シンポジウムチラシ[PDF:4.31MB]
申込方法
電話、またはGoogleフォームにより、
村教育委員会生涯学習課へお申込みください。
※イベントは完全予約制です。
電話で申し込む場合
木島平村農村交流館 教育委員会生涯学習課
電話:0269-82-2041
受付時間:平日の午前9時から午後4時
Googleフォームで申し込む場合
下記のGoogleフォームリンク又はチラシ・ポスターに
掲載のQRコードからお申込みください。
Googleフォームリンク別ウィンドウで開きます
お弁当の申し込み
予約時に弁当(お茶付き800円)の希望も承ります。
ご希望の方は合わせてお申し込みください。
申込締切
11月8日(金曜日)
※11月8日以降の空席確認は電話連絡のみ承ります。
この場合、お弁当の予約はできませんのでご了承ください。