東アジア討論室

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径百余歩 殉葬奴婢百余人 - p君

2024/12/11 (Wed) 22:14:47


またか、と言われるかもしれませんが、私も生きてあと20年、
死ぬまでこの話を続けていくつもりです。

国土地理院の地図で紹介します。

距離が153mとなってるのがご覧いただけますでしょうか。

径百余歩 殉葬奴婢百余人の場所は、箸墓古墳でしょうか。
違うと思います、時代が少し違うし、殉葬奴婢百余人が全く説明できません。

径百余歩 殉葬奴婢百余人の場所は、逆に言えば、日本の歴史の「何か」であるはずです。
〇〇ニュータウンのはずれの家電が不法投棄されてる雑木林であるはずはないでしょう。

私がたどり着いたこの場所は、古代から高天原と呼ばれている高尾張邑です。
そして日本最古の神社・高天彦神社の境内にあります。

これ以上の「何か」はないと思っています。

Re: 径百余歩 殉葬奴婢百余人 - p君

2025/04/26 (Sat) 19:31:36

オヤジッチさん、こんにちは。



神武東征において、神武軍は複数の土蜘蛛を討ってます。

①大和国で恭順に及ばなかった波哆丘岬の新城戸畔(にいきとべ)

②和珥坂下の居勢祝(こせはふり)

③臍見長柄丘岬の猪祝(いはふり)



という三箇所の土蜘蛛をそれぞれ討ち取ってます。


①と②は不明ですが、③は御所市名柄の近く、葛城一言主神社参道に痕跡が残ります。(画像)

臍見長柄丘岬の猪祝(いはふり)が埋められたのはここでしょう。

問題は④です。

「高尾張邑にいた土蜘蛛を葛(かずら)をあんで作った網を使って討っており、
そのことに因んで地名を葛城(かつらぎ)と改めた」

とありますが、この場所こそが今の奈良県御所市高天、150mの低墳丘墓あるいは楕円形の周溝墓らしきものの隣に蜘蛛窟と言う、
神武軍が大きな岩を置いて洞窟にいた土蜘蛛を出られないようにして退治したという伝承が残る場所です。

この場所こそが高尾張邑伝承地であり、古来から高天原と呼ばれる日本で唯一の場所であり、驚くべきことに【高天原に洞窟がある】という日本神話の原点のような話になります。
この洞窟は後世に土砂崩れが起きたようで、今は見れません。
しかし地元に強い伝承が残ります。

どうも日本書紀を編纂していた7世紀後半の朝廷は、魏志倭人伝に書かれた卑弥呼の墓がここであると知っており、
魏志の卑弥呼墓の殉葬奴婢百余人について、神武が土蜘蛛を洞窟に閉じ込めて殺害した話をそのまま書いてしまえば、魏志倭人伝の卑弥呼墓の殉葬の事だとわかってしまう故、創作神話でごまかしたと私は考えます。

それがアマテラスの天岩戸神話です。


昔、当世さんが神話の世界はあるのかという問いかけをなされましたが、
私は、この天岩戸に関しては、実際にあった話を神話にしたと考えてます。


尾張氏についてはまた後ほど。

高尾張邑? - オヤジッチ

2025/04/26 (Sat) 15:22:03

p君さん、こん○○は。

> 古代から高天原と呼ばれている高尾張邑
↑ そうなんですか?
  尾張氏の先祖(高尾張)の村(邑)としか知りませんが。
  教えて下さい。

Re: 径百余歩 殉葬奴婢百余人 - p君

2025/04/21 (Mon) 22:52:36

先日、大阪府高槻市の阿武山古墳に行ってきました。

予想通りだったこと、それは継体天皇陵である今城塚古墳を見下す位置にあった事です。

天皇墓を見下す、これは高天原(御所市高天)も、少し下ったところから、神武の眠る畝傍山を見下すようになっています。
阿武山古墳は鎌足の墓で間違いないと思われます。
そもそも天皇とは何であったのか、考えさせられる事実です。

Re: 径百余歩 殉葬奴婢百余人 - p君

2024/12/19 (Thu) 22:37:47

私が指摘するこの場所は全国古墳データベースには載っていません。

そもそも古墳とは認定されていません。

しかし最近、やはり藤原鎌足墓説が有力になりつつある大阪高槻の阿武山古墳(あぶやまこふん)も、
当初は古墳とは認定されておらず、
京大の地震観測所の下から偶然に埋葬施設が発見されたわけですね。
だから、卑弥呼の墓も、しっかりした盛り土がある「古墳」と認定されていなくても良いと思います。

その阿武山古墳ですが「通常の古墳にあるような盛り土はなく、浅い溝で直径82メートルの円形の墓域が形成されていた。」(画像)ということですから、私が指摘するこの場所と似ています。

それもそのはず、藤原も祖先が高天原にいたわけですから、共通したものがあってもおかしくありません。

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