東アジア討論室
スレ「FC2のロビー・談話室12」 - 管理人
2025/03/02 (Sun) 23:54:29
.
ここは、スレ「FC2のロビー・談話室11」の続きのスレです。
レスが50を超えたので、新しいスレを立ち上げました。
PS:投稿される方へ
:表紙画面(トップ画面)の投稿枠は、新規スレ作成用です。
:(各スレに対して)投稿をされる方は、
:下記の要領で、投稿をお願いします。
:各スレ(タイトル)をクリックすると、各スレが表示されます。
:画面をスクロールして、一番下まで下げていくと、
:投稿用の枠が出て来ます。
:投稿用の枠に、直接記入、あるいは、コピペで
:投稿できます。
:「環境依存の文字」や「古い文字」が含まれていると、
:投稿が出来ないことがあります。
:メールアドレス・URLの記入は、不要です。
:なお、画像ファイルには、500KBの制限があります。
:「編集/削除キー」(英数4~8文字)は、
:パスワードのことです。
:一度、登録して投稿すると、変更しない限り保存されます。
Re: スレ「FC2のロビー・談話室12」 - 米田
2025/06/19 (Thu) 11:29:57
「王権(おうけん)」(ウィキペディアより)
:王権は、人々に君臨する王の権力、統治権のこと。
:
:概要
:国家にはさまざまな定義があたえられるが、一般に、
:国家は、農耕など生産経済の発明に触発された
:歴史上の大変動に惹起されて創り出された社会集団であり、
:
:1、一定の領域
:2、そこに居住する人びと(民衆)
:3、それを統治する主権者
:の三要素を不可欠なものとして有する政治機構である。
本を読むのは苦手です。
1頁目で、思考がストップしてしまいます。
*****
|はじめに 001|
日本列島に、「王権」と呼べるような権力や政治機構は、
いつ、どこに、どのような経緯で誕生したのだろう。
王権をどう考えるかによって、この解釈は大きく変わって
くるに違いない。
私(←寺沢)はこの王権誕生を三世紀と考えているから、
説明に必要な材料の多くは必然的に考古学の資料である。
*****
私(←米田)は、王権(を行使する人)を
徴税権、司法権、徴兵権を含む軍事行使権、外交権を持つ人間、
または、上記の人間(おもに将軍)を任命する人間(の登場)。
と、定義しています。
そうすると、AD57年、倭の奴国王が後漢に朝貢し、印綬を授かる。
つまり、
倭国に、(外交権を持つ)王権が誕生したのは、一世紀です。
これは、文献史学から、証明できます。
紀元前の時代から、銅鐸祭祀圏(&銅剣祭祀圏)がある以上、
その(祭祀圏の)中から、外交権を持つ国が現れることは、
これは、もう王権の登場といってもよいのではないか。
こんなことを考え始めたら、本が読めなくなります。
困った、困った。なかなか先に進めない。
PS:
吉野ケ里遺跡などの「二重環濠」は、害獣対策であって、
戦争の防御ではなかった、という話は、講演会で聞いたばかりです。
PS:
倭国(日本)の特徴は、一つ一つの国は、どんぐりの背比べのように
大差がないのですが、その中で、一つの国が、倭国(日本)の
代表を名乗るのは、天照大神からの指名とか、共立とか、
後漢・魏からの承認などのある種の権威を授かることが、
倭国における(大王という)王権の特徴だろうと思います。
Re: スレ「FC2のロビー・談話室12」 - 米田
2025/06/19 (Thu) 07:42:33
「王権誕生」の本は、手許にはありましたが、
埃をかぶっていました。(2001年第二刷発行)
20余年前の自分には、むづかしかったようです。
「王権誕生―日本の歴史〈02〉」講談社
出版社内容情報
弥生・古墳時代の実態と王権誕生の謎に迫る
稲作伝来、そして、ムラからクニ、国へ。
巨大墳丘墓、銅鐸のマツリ、その役割と意味は何か。王権誕生への
ダイナミックな歴史のうねり、列島最大のドラマを描く。
内容説明
前六世紀末から四世紀末、稲作伝来以来、日本列島は大きく変貌した。
弥生人の生活はどのようなものであったのか。
各地に残る環濠集落、石剣が突き刺さった人骨、
大量に埋納された銅鐸・銅剣、巨大墳丘墓の築造。
カミから神へ、マツリから祭りへ、ムラからクニ、国へ。
王権誕生・確立までのダイナミックな歴史のドラマを
最新の研究成果を結集し描く。
著者等紹介 寺沢薫[テラサワ-カオル]
1950年東京都生まれ。同志社大学文学部卒。
現在、奈良県立橿原考古学研究所総務企画部長。
専門は日本考古学で、考古学からの国家形成史、
東アジアの農業史、比較文化史をめざす。
古代学研究会代表。第15回濱田青陵賞受賞(2002年)
(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、
イラストレーターなどの紹介情報です。
目次
プロローグ 弥生時代とは
_____1_ようこそ弥生時代へ
_____2_様式論とタイムスケール
第1章 稲作伝来
_____1_水稲農耕の始まりと広がり
_____2_イネのきた道
_____3_金属器の登場と渡来人
_____4_壕をめぐらすムラ
第2章 コメと日本文化―日本的農業と食生活
_____1_弥生人の食事情
_____2_稲作の技術と開発
_____3_弥生農業のすがた
第3章 青銅のカミとマツリ
_____1_マツリを再現する
_____2_銅鐸の絵画は何を語るか
第4章 倭人伝の国々
_____1_戦争のはじまり
_____2_戦争がもたらしたものーー戦争の人類学
_____3_北部九州のクニと国
_____4_王墓の出現と王のなかの王
_____5_近畿周辺のクニグニのすがた
_____6_ムラに権力の胎動をみる
_____7_青銅祭器とクニ・国
_____8_帝国の外縁で
第5章 情報の争奪と外交
_____1_倭人争乱
_____2_分業と流通システム
_____3_外交は大海を越えて
_____4_マツリからマツリゴトへ
第6章 倭国乱れる―王権への胎動
_____1_倭国再編への兆し
_____2_穀霊から首長霊へ
第7章 王権の誕生
_____1_新時代の幕開け
_____2_卑弥呼共立
_____3_王権成立への道
第8章 王権の伸長
_____1_前方後円墳体制
_____2_王権の祭祀
_____3_巨大古墳の世紀
_____4_王権確立への道―五世紀史への展望
エピローグ 世界史と現代へのまなざし
・世界の中の弥生文化
・戦争と王権形成
・日本的創造の原像
・環境破壊と農業の発展
Re: スレ「FC2のロビー・談話室12」 - 米田
2025/06/17 (Tue) 14:47:00
:韓の広さが方4千里ではなくて、
:韓の広さが方2千里だったとしたら、
(水行1日千里は、1日500里に変わります。)
:これで、どんな感じになるでしょうか。
Re: スレ「FC2のロビー・談話室12」 - 米田
2025/06/17 (Tue) 14:41:44
┌
│<Ⅱ.邪馬台国と狗奴国の所在地>
│1.邪馬台国
│①[所在地の歪曲:晋の公式見解]
│__著者陳寿が想定している
│__邪馬台国の所在地は、(云々)。
│
│④[距離の水増しとその理由]
│__したがって、倭人伝の記す距離情報は事実とは無関係に
│__遠方に設定すべく「水増し」されていると考えねばならない。
└
『後漢書・韓伝』
:〔韓の〕地は全体で4千余里四方である。
『三国志魏書韓伝』
:〔韓の〕広さは4千里四方ほどである。
「真番郡(しんばんぐん)」(ウィキペディアより)
:郡治が置かれた霅県の位置は長安を去ること7,640里という。
┌
│「臨屯郡(りんとんぐん)」(ウィキペディアより)
│郡治の置かれた東□県(現在の韓国江原特別自治道江陵市)は
│長安を去ること6,138里という。
└
┌(知恵袋より)
│長安は今の西安で陝西省にあり、洛陽は今もあり
│東隣の河南省にあり、直線距離で330㎞ぐらい離れてますね。
│(別回答)(370㎞)(370㎞)
│
│漢尺の千里はだいたい450km~500kmくらいです。
└
┌
│後漢書郡国志
│遼東郡。雒陽(洛陽)の東北3千6百里・
│玄菟郡。雒陽の東北4千里。
│楽浪郡。雒陽の東北5千里。
│遼東属国。雒陽の東北3千2百60里。
└
┌
│平壌 からの距離を確認してください。
│都市 (直線)距離
│ソウル 205.31 km
└
├・・・・6,138里・・・・・┤
長安─雒陽──楽浪郡──臨屯郡
___├・5千里・┤
├・・・・7,640里・・・・・・・┤
長安─雒陽──楽浪郡────真番郡
___├・5千里・┤
___├・5千里・┤_├─・・水行4日・・┤
長安─雒陽──楽浪郡─帯方郡───半島の南端
___________├──〇〇〇〇里──┤
*****
<所在地の歪曲・距離の水増し>
:所在地の歪曲・距離の水増しの件ですが、
:この問題の根本原因は、倭国の位置というよりも
:「〔韓の〕広さは4千里四方」という、韓伝に問題が
:あると思います。
:
:帯方郡から狗邪韓国まで、水行7日です。
:韓の広さが方2千里だったとしたら、水行1日500里で
:水行7日は、(7千里から、)3500里に短くなってしまいます。
:
:そうすると、1万2千里は、水行10日が、5千里になって、
:合計で、7千里になってしまいます。
Re: スレ「FC2のロビー・談話室12」 - 米田
2025/06/16 (Mon) 14:11:38
┌
│<Ⅲ.古代中国帝国主義と列島における二次的国家形成>
│
│(5)寺沢史論の問題点
│(a)「南北市糴」「東西市糴」論
│(b)奴隷制とスニップ集合問題
│___舶載商品の物流にともなう対価についての考察がない。
│___先史の列島においては、金属貨幣による
│___支払はおよそ考えがたいことであった(前稿)
└
:
:「諸葛孔明と卑弥呼(『三国志』が解く古代史の謎)」
:田中重弘著:光風社出版(平成元年発行)
:三国志の時代の通貨事情について、上記の本に色々と
:記述があるので、紹介します。
(P-76・77)
:相手の魏は(云々)。
:当時はまだ金や銀が通貨として一般化していなかった関係で
:穀物と絹地が通貨として最も重要なものとされていたので
:太陽と水の恵みの持つ意義は大きかった。
:絹と穀物を比較すると(云々)。
:このふたつの通貨を最も有効に生かす手は豊作の年に絹地を使い、
:不作の年に穀物を使う手である。要するに絹地は食えないのである。
:・・・、中国の政治・経済の中心となった呉の地方は、蜀とちがい
:穀物(米)という最も強い通貨と銅銭(日常はこちらが使われていた)
:を産していたのである。
:(P-80)
:「三国志」の世界は漢末の地方豪族の対立抗争の時代
:(紅巾の乱の184年から)が赤壁の戦い(208年)の頃から
:経済戦争の時代へと変っていたのである。
:(P-90)
:・・・。魏が漢の税収の柱としていた塩と鉄の専売制度をいち早く
:旧に戻したことを意味する。
:(P-99)
:その地方(西安/長安)から西の住民は羊や馬を多数飼育して
:常に蓄えを絶やさないという原則を貫いて生きてきた。
:家畜群は生きた通貨なのである。
*****
:これらをふまえて、倭国で通貨になりそうなものを
:挙げると、次のようなものがあります。
:
:穀物(米)と絹地(倭絹)、塩。
:
:ほかにもあるとは思いますが、
:通貨について考えてみました。
*****
『後漢書・倭伝』
:土地は禾稲(いね)、麻紵(あさ)の〔栽培〕や、桑を植えて
:養蚕するのに適している。〔倭人は〕糸を績(つむ)いで布を
:織る技術をもっており、縑布(かとりぎぬ)を生産する。
『三国志倭人伝』
:男子はみな冠をかぶらず木綿で頭を巻いている。人々は、
:稲や麻を植え、桑を栽培し蚕を飼って糸を緝績(つむ)ぎ、
:細麻や縑(かとりぎぬ)や緜(まわた)を産出する。
「彌彦神社(いやひこじんじゃ:弥彦神社)」(ウィキペディアより)
:彌彦神社は、新潟県西蒲原郡弥彦村弥彦にある神社。
:歴史・概史
:創建年代は不詳。
:祭神の天香山命は、『古事記』に「高倉下」として登場する。
:社伝によれば、命は越後国開拓の詔により
:越後国の野積の浜(現 長岡市)に上陸し、
:地元民に漁撈や製塩、稲作、養蚕などの産業を教えたとされる。
Re: スレ「FC2のロビー・談話室12」 - 米田
2025/06/16 (Mon) 13:55:04
:論文(文字)を読むのは、苦手なものですから、
:小見出しを抜き出して、眺めています。
┌
│列島国制史の根本的諸問題(Ⅱ)
│古代中国帝国主義の列島支配と二次的国家形成
│-寺沢薫氏の弥生・古墳時代政治史論に寄せて-
│水林 彪(みずばやし たけし)
│東京都立大学名誉教授・早稲田大学名誉教授
└
目次
Ⅰ.はじめに―課題の設定・・・・・3
Ⅱ.邪馬台国と狗奴国の所在地・・・4
Ⅲ.古代中国帝国主義と列島における二次的国家形成・・・・11
Ⅳ.結び・・・ 29
<Ⅰ.はじめに―課題の設定>
(一)本稿は、本誌前号に寄稿した論文の続編である。
(二)弥生・初期古墳時代国制史の具体像を描くにあたり、
___本稿は、古代中国帝国主義の列島支配に焦点を定める。
(三)本稿のいま一つの柱は、狗奴国論である。
(四)邪馬台国大和説が学界においてほぼ定説となり、・・・。
___本稿の二つの柱たる古代中国帝国主義論と狗奴国所在地論
___とは複雑に絡みあう関係にある。
___Ⅱ章は、邪馬台国と狗奴国との所在地論が主題となる。
<Ⅱ.邪馬台国と狗奴国の所在地>
1.邪馬台国
2.狗奴国
(1)中国正史における狗奴国所在地記事の矛盾
(2)依るべきは『後漢書』倭伝
(3)狗奴国所在地記事に関する陳寿の操作
(4)考古学による裏付け
3.邪馬台国と狗奴国
<Ⅲ.古代中国帝国主義と列島における二次的国家形成>
1.伊都倭国
(1)楽浪郡出先機関としての伊都国
(2)〈後漢=伊都倭国政権〉の列島西部支配
2.後漢=伊都倭国の衰退と列島諸地域の自立・割拠
(1)後漢=伊都倭国の衰退
(2)狗奴国・狗奴国連合とその外縁
(3)狗奴国(出雲)=投馬国(吉備)連合
(4)「倭国大乱」の意味
(5)寺沢史論の問題点
(a)「南北市糴」「東西市糴」論
(b)奴隷制とスニップ集合問題
___舶載商品の物流にともなう対価についての考察がない。
___先史の列島においては、金属貨幣による
___支払はおよそ考えがたいことであった(前稿)
3.邪馬台倭国
(1)邪馬台倭国形成の内的契機と外的契機
___弥生Ⅵ期に続く庄内期に、纒向を王都とする邪馬台倭国
___(寺沢氏のいう新生倭国)が成立した。
(2)公孫氏=伊都・吉備勢力の東征
(3)韓半島=西新町交易圏
(4)邪馬台倭国の成立
<Ⅳ.結び>
___前稿および本稿は、
___「7・5・3論争」の枠組から自由に構想された、
___外的国家論を基軸に据える以上のような
___寺沢国家史論を基本的に支持する立場から、
___これを多少とも発展させようとした一つの試みである。
第1に、外的国家論の観点を極限にまで貫き、
首長制的階級社会が未形成の段階における、
環壕集落を拠点集落とする郷的規模での政治社会
(寺沢氏のいう小共同体)を共同体国家として概念化し、
ここに国家史の始原を設定したことである。
第2に、二次的国家論の観点を一層強調し、
伊都倭国・邪馬台倭国(新生倭国)の成立を、
中国歴代王朝(漢・公孫氏・魏晋)の東夷諸国に対する
帝国主義的支配の産物として描写したことである(本稿)。
Re: スレ「FC2のロビー・談話室12」 - 米田
2025/06/13 (Fri) 23:55:14
.
7・5・3について、今まで
あまり考えていませんでした。
今回、年表の形で、認識することが出来ました。
それと同時に、違和感を覚えました。
前掲の年表に対して、自分なりの違和感を
(言語化して)年表にしてみました。
Re: スレ「FC2のロビー・談話室12」 - 米田
2025/06/12 (Thu) 22:42:49
:論文(文字)を読むのは、苦手なものですから、
:一目で分かるものを探しました。(第11号より)
纒向学研究第11号 2023年3月刊行
水林彪 「列島国制史の根本的諸問題(1)
共同体国家・階級国家・文明国家
-寺沢薫氏の国家形成史論に寄せて-」
纒向学研究第12号 2024年3月刊行
水林彪「列島国制史の根本的諸問題(Ⅱ)
古代中国帝国主義の列島支配と二次的国家形成
-寺沢薫氏の弥生・古墳-」
Re: スレ「FC2のロビー・談話室12」 - 米田
2025/06/12 (Thu) 21:28:42
.
講演会の資料がなかなか来ないなと思っていたら、
講演会の資料が、公開されていることに気が付きました。
これから読みます。
「『纏向学研究』12号」で検索しました。
https://www.city.sakurai.lg.jp/sosiki/kyouikuiinkaijimukyoku/makimuku/kankobutu/kiyo.html
Re: スレ「FC2のロビー・談話室12」 - (管理人)
2025/06/09 (Mon) 23:58:45
.
『邪馬台倭国の形成と構造
――古代中国帝国主義の列島支配と二次的国家形成』―
会場+オンライン(ハイブリッド)
■日 時 : 6月22日(日)14時~16時半 終了予定
■講 師 : 水林 彪先生(早稲田大学名誉教授)
■会 場 : 北とぴあ804号室(王子駅徒歩3分)
■講師の言葉
講演のご依頼の折に一例として提案された演題は、
列島における二次的国家形成問題であった。
最近執筆の機会を得た拙論
「古代中国帝国主義の列島支配と二次的国家形成」
(『纏向学研究』12号)が幾人かの会員の方の眼にとまった
ことが、ご提案の切っ掛けとなったとのことである。
大変に光栄なことであり、ご依頼を有り難く受諾させていただいた。
「二次的国家」とは、国家形成が、主として外力の作用に
よるものであることを示す概念である。
列島における国家形成・展開史の特徴の一つは、
この「二次的国家形成」が基調をなしていたことにある。
「黒船の一撃にはじまる近代天皇制国家形成」は
周知の通りであるが、列島における列島的規模での国家形成の
起源をなす「邪馬台倭国」
(纏向・邪馬台国を中心地とする国家、いわゆる前方後円墳国家)
も、まさしくそれであった。
本講演では、考古学者のこの点に関する議論を批判的に吟味しつつ、
私見をのべることとしたい。
■参加料:
会場参加 会員1500円、一般1800円、学生500円
ZOOM視聴代:1000円
Re: スレ「FC2のロビー・談話室12」 - (管理人)
2025/06/03 (Tue) 09:55:54
(FB談話室からの転載です。)
・東アジアの古代文化を考える会
作成者: Naoko Urushibara ・2025年04月11日(金)20:46
台湾からデニソワ人
——台湾最古の人類化石はデニソワ人男性の下顎骨だった——
・東アジアの古代文化を考える会
作成者: Naoko Urushibara ・2025年05月26日(月) 7:55
広島 冠遺跡で約4万2000年前の石器を発掘 研究者が発表
2025年05月25日 16時19分
・藤盛 紀明 ・2025年05月26日 13:14 ·
25日、茨城県つくば市で開かれた日本考古学協会の研究発表会で、
奈良文化財研究所の研究者が、広島県廿日市市にある旧石器時代
の遺跡で、およそ4万2000年前の石器を発掘した発表した。
詳細は東アジアのFBに投稿されています。
・藤盛 紀明
3日・2025年05月30日(金)19:22
この報道は色々議論すべきことがあると思います。
多くの投稿期待します。
・「夜見ヶ浜人」ですが、今夜、テレビで放送されます。
(NHK)総合(テレビ)
6月3日(火)夜10:00~10:45
この番組について
1969年、鳥取県境港市で発見され、考古学者の直良信夫が
2万~5万年前のものと鑑定した「夜見ヶ浜人」。
日本最古の人骨かと話題になったが、
学界からは認められぬまま行方不明に。
松本清張もほれた直良の人生。
その直良が残した骨は今、
日本を代表する研究者たちに引き継がれた。
日本人のルーツに迫る可能性を秘めた「幻の骨」を巡る物語。
Re: スレ「FC2のロビー・談話室12」 - 石見介
2025/06/01 (Sun) 21:23:56
槌田鉄男さんや、或いは米田喜彦さんもそうですが、どうも遺伝人類学に対する評価が低いか、理解されておられず、その為、容易に「借用」「模倣」可能な文化的な考古遺物を、大きな人集団の移動、民族移動の証拠と誤解されておられるように、思われます。
p君さんがご紹介されているように、現代日本人男性のY-DNAハプロタイプのデータからは、父系氏族制を根幹とする騎馬遊牧民が、征服王朝を形成した場合、現代日本人男性の様な、縄文系Y-DNAハプロタイプの頻度の高い状況には、なり得ません。
私が、来たのは「馬飼部だ」といっても、どうも理解されません。
Re: スレ「FC2のロビー・談話室12」 - (管理人)
2025/05/28 (Wed) 13:32:12
(FB談話室からの転載です。)
≫槌田 鉄男
3日・2025年05月24日(土) 21:41
鉄と同じだと思いました。
弥生時代の奈良に鉄はほとんど出ていません。
寺沢薫先生も纒向遺跡は3世紀に突然誕生したと言っています。
3世紀に騎馬民族が来てヤマト王権を作ったとする
自説にとって非常に都合のいい内容でした。
≫藤盛 紀明
3日・2025年05月25日(日) 08:22
槌田 鉄男 さん
纏向は誰が作ったか?
纏向には九州の土器は無い!
≫槌田 鉄男
2日・2025年05月25日(日) 20:31
扶余と公孫氏によって作られたとするのが私の考えです。
主たる理由は前方後円墳は扶余が誕生させたとするのが
一番妥当と考え得ることです。
金沢大学の覺張先生が発表した遺伝子学の新説の『古墳人』が
追い風になっていると思っています。
また東大寺山古墳出土の中平年号の入った鉄刀や
山梨の鳥居原狐塚古墳出土の赤烏元年(238年)銘神獣鏡などに
公孫氏が来た形跡が見られます。
詳しくは下記のYouTube動画シリーズ新しい騎馬民族説(全6本)
をご覧いただくとありがたいです。
扶余は九州の邪馬台国を避けて直接奈良に入ったので
九州との交渉がなかったと考えています。 https://www.youtube.com/watch?v=zeu0MdH0tgw
② 邪馬台国は邪馬台国は筑紫平野・・・
シリーズ・新しい騎馬民族説(1/3)
YOUTUBE.COM
≫福島雅彦
1日・2025年05月26日(月) 20:40
纏向には九州の土器は出ない。
≫福島雅彦
1日・2025年05月26日(月) 20:54
纏向には九州の土器は出ない。
大和王権ありき、の様に聞こえます。
土木工学的考察は成されなかったのでしょうか。
30萬立方メートルとも謂われる土盛りを為すには、
相当のマンパワーが必要です。
土器が出土する地方から工人が徴用された、と考えれば。
土器が出土しない九州からは徴用工が行かなかった、と観られます。
即ち、監督者しか行かなかった、と。
大きな建物は労務宿舎で小さい建物は監督者用。
水路は物を運搬するだけではなく、膨大な員数の労務者用の
水洗トイレ。
箸墓古墳は九州皇統の廟だと観ます。
Re: スレ「FC2のロビー・談話室12」 - (管理人)
2025/05/28 (Wed) 13:30:32
(FB談話室からの転載です。)
≫藤盛 紀明
· 3日・2025年05月24日(土) 19:36
本日の「田村 朋美先生(奈良文化財研究所)」のご講演は
ヤマト王権の始まり、
邪馬台国の位置論に非常に大きなインパクトを与える内容だった。
弥生時代にはヤマトにはガラス玉の中心は無い!
最初は九州、次に日本海側、更に関東南部。
ヤマトがガラス玉の中心になるのは
古墳時代(箸墓)以降からと明言された。
では古墳時代の始まりは何時か?
質問したが明快ではなかった。
田村氏は大賀氏の説によっているとする。
講演資料からは3世紀前半のようである。
卑弥呼は2世紀から3世紀前半。
どうやらキナイは邪馬台国ではなさそうである。
私の今日の質問の主旨は皆さんに理解できたかは不明である。
討論室(私の好きな邪馬台国論争)で、
上の投稿に更に以下を追加しました。
ヤマト王権の基盤は纏向遺跡である。
纏向には九州の土器は出ない。
東海の土器が50%で、他に近江・北陸・山陰。
纏向以上に大きかった河内の集落は
吉備までの瀬戸内各地との交流が多い。
河内ー纏向ー東海を結ぶ古代交流道もあった。
纏向・吉備瀬戸内・河内・東海の連合が
ヤマト王権を作った可能性は高い。
≫小原理一郎
2日・2025年05月25日(日) 19:11
新しい仮説ができました。
あとは裏付けの物的証拠を積み重ねるだけです。
興味深いです。
馬具、装身具、鉄器類などをセットで
考察すべきではないだろうか。
銅鏡中心の古代史解説は限界ありと思うばかりです。
小原理一郎
≫竹本雅昭
2日・2025年05月26日(月) 05:42
小原理一郎(さんへ)
出雲の西谷3号から鳥を象った青いガラス製の丸い耳飾りが、
2個出ている。全栄来教授の著作に
天河石製のリストがあったが、それと似ている。
田村先生は、福岡のガラスと北陸を中心とした青いガラスを
結び付けているが、興味深い。
九州から畿内へ移動したルートは、瀬戸内とは別に、
裏日本ルートがあったと思っている。
福岡市に比恵遺跡があるが、この地名は、比叡山の比叡と似ている。
日枝神社の日枝も同じだ.日吉丸の日吉も似ている。
私はヒコザオウのルートで、直接纏向には入らなかったと思っている。
≫藤盛 紀明
2日・2025年05月26日(月) 08:44
竹本雅昭 さん 詳しいですね。
教えてください。
関東南部に早い時期にガラス製品が入っていることに
何か意見ありますか?
これも日本海ルートですか?
記憶あいまいですが、田村先生は太平洋ルートと
話していたように思いますが?
房総の神門5号墳も気になります。
≫竹本雅昭
1日・2025年05月26日(月) 17:31
私の考えは、博多湾岸で新たな土器がつくられていますので、
同時期に青いガラスも生み出されたというものです。
詳しくは資料を探さないと分かりませんが、たんごの弥生時代を
研究されているされている方が、南方のガラスと
述べられていましたので、ベトナムや華南のガラスだと思います。
交易により入手すると同時に、技術も人も入ったのかもしれません。
以前会で研究された、ジョッキ型の土器や木器と同じような
位置づけです。
また、田村先生の講演を聞いていませんので、よく分かりませんが、
関東に伝わったことには、驚いています。
住んでる木更津と市原はすぐ隣ですので、恥ずかしい次第です。
卑弥呼の移動ルートは、瀬戸内、つまり大阪湾を遡り、
近江の伊勢に入り、その後,祭祀集落である纏向に
移ったのではないでしょうか。
Re: スレ「FC2のロビー・談話室12」 - (管理人)
2025/05/22 (Thu) 22:27:36
『ガラス玉の産地と流通経路―考古科学的アプローチ―』
■日 時 : 5月24日(土)14時~16時半 終了予定
■講師の言葉
化学組成分析および同位体比分析により明らかとなってきた
弥生~古墳時代のガラス玉の生産地研究の最新の動向を紹介する。
弥生~古墳時代に流通したガラス玉の化学組成は、
鉛ガラス系、カリガラス系、ソーダガラス系に大別される。
鉛ガラス系は、鉛バリウムガラスとバリウムを含まない
鉛ガラスに大別され、いずれも東アジア起源である。
カリガラス系は、Al2O3とCaOの含有量から二種類に大別される。
色調と明確な相関が認められ、類例の分布や同位体比分析から、
紺色のものはインド起源、
淡青色のものは中国南部~ベトナム北部起源であると考えられる。
ソーダガラス系はさらに多様で、弥生時代に北部九州に流入した
ものや古墳時代中期前半まではインド~東南アジア産のものが
圧倒的多数を占めるが、古墳時代中期後半には
中央アジア起源の植物灰ガラスも流入した。さらに、
地中海世界や西アジア起源のガラスもわずかながら流入した。
(レジュメ)
ガラス玉の産地と分析化学 田村朋美(奈良文化財研究所)
(目次)
1 はじめに
(日本列島にガラスが初めて出現するのは、
弥生時代中期の北部九州である。)
2 ガラス玉の分析化学
3 ガラスの出現:鉛バリウムガラス
4 インド・パシフィックビーズの到来:カリガラス
5 ガラスの多様化:ソーダガラスの出現
6 古墳時代の開始:淡青色ガラス玉の時代
7 多彩なガラス玉の時代
8 海のルートから内陸ルートへ
9 最後の輸入ガラス玉
10 国産ガラスの開始とガラス玉の終焉
(そして、平安時代になると国産の鉛ガラス生産は急速に衰退し、
ガラス自体が希薄となる時代を迎える。)
Re: スレ「FC2のロビー・談話室12」 - (管理人)
2025/05/15 (Thu) 10:46:04
東アジアの古代文化を考える会
作成者: Naoko Urushibara
・2025年01月31日(金) 16:32
【遺跡巡り 日帰りバスツアーのご案内
―磯浜古墳群とヤマト王権との関係―】
しばらくお休みしていました遺跡巡りを再開することとなりました。
茨城県の大洗町にある磯浜古墳群をめぐります。
磯浜古墳群は、茨城県大洗町にある姫塚古墳・五本松古墳・
五本松下古墳・坊主山古墳・日下ヶ塚(常陸鏡塚)古墳・車塚古墳
の総数6基からなる 3 世紀後半~4 世紀後半の古墳群です。
近年の研究では、日下ヶ塚古墳(常陸鏡塚)は、墳丘が
佐紀陵山古墳と、副葬品の石製模造品が富雄丸山古墳と良く
似ていることが指摘され、注目を集めています。
近くの資料館で出土品を見学予定です。
そのあと、くれふしの里古墳公園に向かい、牛伏古墳群
(前方後円墳 7 基、円墳 8 基、不明 1 基の 16 基で構成され、
墳形から 17 号墳が最も古く、古墳時代前期末頃と見られ、
他の前方後円墳は古墳時代後期と推定されている)と
船塚古墳を見学します。
■日 時: 5月9日 (金) 9時半水戸駅集合、17 時頃水戸駅解散
■コース:
水戸駅発→幕末博物館(出土品見学予定)→磯浜古墳群→
大洗駅周辺で昼食→船塚古墳→くれふしの里古墳公園
→水戸市内原郷土史義勇軍資料館→水戸駅着
■交通手段: マイクロバス等での移動を予定
(参加人数によっては変わる可能性あり)
■参加料:10,000 円予定
(マイクロバス代、資料代、入館料含む)
Re: スレ「FC2のロビー・談話室12」 - 米田
2025/05/03 (Sat) 21:09:48
映画、「天地明察」のなかで、
「和算の設問が(絵馬として)奉納された」
というのがありました。
そのマネをしてみました。
《遺題継承》
【下記の命題は、正しいか】
┌(2chの掲示板)
│16:日本@名無史さん:2005/11/17(木) 09:14:42
│(「16/YXRFBRM」氏が発見したシンメトリック論)
│孝霊紀から壬申紀までは
│「133/60/68/99/121/121/99/68/60/133」と区切れて面白い
│(注:133+60+68+99+121 = 481 = 60×8 +1= 37×13)
└
この命題が正しいときの
『日本書紀』の本来の姿
とは、どんな姿だろうか。
Re: スレ「FC2のロビー・談話室12」 - 米田
2025/03/28 (Fri) 23:09:26
<映画(アニメ)「キングダム」に出てくる「大将軍」について>
:映画(アニメ)を見ていて、気になったのが「大将軍」でした。
:「将軍」と、「大将軍」の違いを、物語では、ただ単に
:「将軍」よりも偉い人、双六の「上がり」のような描き方を
:していました。ずっと気になっていたのですが、ある時、
:自分なりの答えとしてですが、気が付きました。
:
:「大将軍」は、「徳川家康」と同じ「征夷大将軍」なのだと。
:つまり、自分で、幕府(政府)を開いて、民政・軍事・外交を
:すべて自分の裁量で、行える人の事だと、気が付きました。
:
:つまり、「大将軍」という制度は、秦の始皇帝の時代よりも
:前の時代から、あった制度だったのです。
:まあ、古代中国の町は、「城塞都市」ですから、「大将軍」が
:城の中をすべて治める必要があったのでしょう。
:
:継体天皇紀に出てくる、長門までは自分が治める、
:そこから西は、「大将軍」のお前が、支配しろ(治めろ)。
:日本書紀の時代を見ていると、秦の始皇帝の時代に
:日本に逃げてきた連中が、秦の時代の政治・風習を
:(数百年にわたって、)持ち込んだのではないか。
:そんなことを考えて、みました。
:秦の風習を持ち込んだのは、物部氏の先祖だろうと思います。
:
:藤原←「蘇因高」←「蘇我大伴・物部・中臣」←「朴」←「蘇」
Re: スレ「FC2のロビー・談話室12」 - (管理人)
2025/03/28 (Fri) 17:09:23
┌
│(FB談話室からの転載です。)(1/3)
│
│Kazumi Hirai
│40分 ・2025年03月27日(木) 16:26
│
│漢籍の再学習:その31 「史記」「匈奴列傳」が中国の史書の
│先駆けとして示した「万里」「千里」「千里馬」の概念
└
:上記の文章を転載・投稿しようとしたら、
:図のように、投稿を拒絶されました。(今回、初めてです。)
:
:文章を切り分けて、問題になっている個所を調べていたら、
:「タヒ」が問題になっているようでした。
:
:YouTubeでは、問題になっていることは、知っていましたが、
:まさか、古代史までとは、驚いています。
:
:今は、「タヒ」の半角を出せなくて焦(あせ)っています。w
Re: スレ「FC2のロビー・談話室12」 - (管理人)
2025/03/21 (Fri) 07:39:07
(FB談話室からの再・再掲です。)
小原理一郎
1月20日 ·・2025年01月20日(月) 23:17
<東アジアの古代文化を考える会>特別研究会」案内
特集 <伽耶と古代日本>
> 開催日 2025年3月22日(土)午後1;00~午後6時
>場所: <杉並セシオン>第8集会室
最寄りの駅 丸の内線 【東高円寺駅】
または【新高円寺駅】徒歩5分
参加費:資料代と会場費 500円
研究会の 趣旨は、> 4月仁藤敦史氏が4月19日(土)
<任那日本府>というテーマで伽耶諸国を取り上げます。
近著【加耶・任那】(中公新書)は12月出版されたばかりで
ベストセラ-となっています
2022年歴博主催【伽耶】特別展では仁藤氏は
カタログ執筆者となって最新の発掘資料に接しています。
これは<伽耶諸国>を取り上げる好機と思い、
【特集】【伽耶と古代日本】というテーマで特別研究会を
開催して最新の伽耶諸国の研究成果を取り込んだ
研究発表をしたいと思います。
発表者は以下の通りです。
1小原理一郎 1;30~2;50
【伽耶文化の考古学的究明】
朝鮮半島の最近における考古学的な発掘と研究発表は
かなり掘り下げられており、過去の研究蓄積のみならず
最新の研究成果を取り込んだ研究発表が続いている。
過去に東アジアの古代文化の会では2回(2002年11月と2010年
9月)にわたる百済、伽耶地域の遺跡見学を行ったことがあり、
早くから伽耶の歴史的な重要性については訴えてきた。
朝鮮3国時代;高句麗、新羅、百済と伽耶諸国と
古代日本成立期倭国との関係を考古学的な資料;、
博物館で入手した図録などの資料と伽耶地域遺跡の
現地調査など踏まえて考古学な紹介をする。
特に伽耶諸国は統一国家成立に至らなかったが、古代日本の
国家成立と文化のために東アジアの古代馬匹文化、高句麗、
古代中国;漢;魏、晋の文化、技術、とりわけ、鉄技術、
馬匹文化は伽耶人と在地の倭人が共同で介在し
日本列島に伝播させたことが考古学的に証明される。
2,竹本雅昭 3;00~4;00
【 狗邪韓国の「出自」と「行方」】
朝鮮半島南部、現在の金海地方に存在していた狗邪韓国の
とらえ方には、不明な点が多い。
鉄資源があったこと、首露王伝説、大成洞古墳群などの地だが、
「出自」不明の謎めいたゾーンである。
韓国を代表する古代史家李丙壽氏は、彼らは楽浪郡から逃れた
人々であって、逃避行の際にうたわれた古歌が「アリラン」と
述べている。彼らの墓地である
良洞里遺跡を中心に考古学面から狗邪韓国を論じたい。
3.赤尾恭司 4;10~5;00
【『加耶/任那』(仁藤淳史2024)を批判的に読む】
古代史関係の論考で気になるのは、①史書にある
「国」「国家」をそのまま用いており概念が不明であること、
②例えば、広開土王碑の「碑文にみえる「倭」がヤマト王権を
背景とすることは疑いにくい」(本書p45、46など)など、
古代の日本列島ではヤマト王権が唯一無二と
論証抜きで議論していることである。そこで、
この二つの視点を軸に、本書の内容を批判的にまとめてみたい。
4,下山繁昭 【任那の成立について】5;10~6;00
日本書紀の記述と高句麗、鮮卑族の動きと周辺諸国の動きと
合わせて考えると倭国ナショナリズムに惑わされず
冷静な目で見る見方が必要ではないかと思えてくる。
戦前から知られている倭国の力が増して来て半島南部に進出し
中国南朝に朝貢するまでになつたとしているが、
日本書紀の細かな分析だけでも違った世界がある。
又 古墳時代、弥生まで遡ると朝鮮半島南部には
インドのタミール地方の文化が流れ来ている。
タミールの影響は一部の学者しか分析していないが
歴史を再構成してみる必要がある。以上
Re: スレ「FC2のロビー・談話室12」 - (管理人)
2025/03/14 (Fri) 05:52:52
(FB談話室からの転載です。)
早稲田大学東アジア都城・シルクロード考古学研究所
6日 ··2025年03月07日(金) 22:45
【リマインド】
国際シンポジウムの開催が、あと1週間となりました。
zoomでご視聴できますので、ご興味のある方は是非ご参加ください。
https://prj-silkroad.w.waseda.jp/symposium2025_jp/
※中国側発表者はzoomでの登壇です。
※教室が変更になりました。
**********
日中国際シンポジウム<生と死の儀礼空間>
-日中の都城・陵墓・寺院の発掘事例から-
2025年3月15日・16日
早稲田大学戸山キャンパス 36号館681教室
ZOOMによるハイフレックス
・プログラム
・ZOOM視聴
・予稿集PDF
※開催教室が36号館681教室に変更になりました(3/7追記)。
※中国側発表者は、当日オンラインで登壇となります。
※ZOOM視聴は事前登録不要です。
_当日ボタンをクリックの上、ご視聴ください。
※予稿集のPDFは無料で閲覧できます。
_準備ができ次第公開しますので、今しばらくお待ちください。
※予稿集は、当日会場でも紙面による配布は行いません。
© 2025 早稲田大学東アジア都城・シルクロード考古学研究所
| Powered by Responsive Theme
Re: スレ「FC2のロビー・談話室12」 - (管理人)
2025/03/07 (Fri) 21:32:14
(FB談話室からの転載です。)
島根県古代文化センター
7時間 ·・2025年03月07日(金) 13:31
【古代出雲文化シンポジウム
「六世紀の出雲とヤマト―出雲の大型古墳を語る―」
の動画を公開しました!】
昨年11月17日に東京・有楽町朝日ホールで行われた
古代出雲文化シンポジウム
「六世紀の出雲とヤマト―出雲の大型古墳を語る―」の
動画を公開しました。
当センターyoutubeチャンネル「しまこだチャンネル」、
もしくは当センターHPの特設ページ
(https://shimane-kodaibunka.jp/sympo/r6sympo2024/)から
ご覧いただけます(視聴期限はありません)。
基調講演では、国立歴史民俗博物館教授の仁藤敦史氏が、
東西出雲の統一という視点から
出雲国の形成過程について語ります。
報告①~③では島根・近畿・九州の研究者が、それぞれの地域
における六世紀の大型古墳について独自の視点から解説します。
各講演者が登場するパネルディスカッションでは、
「六世紀の大型古墳を語る」と題して
熱い議論を繰り広げます。
計3時間に及ぶ大ボリュームの
シンポジウムを是非ご覧ください!
Re: スレ「FC2のロビー・談話室12」 - (管理人)
2025/03/07 (Fri) 12:12:19
(FB談話室からの転載です。)
弥生時代研究会
18時間 ·・2025年03月06日(木) 18:07
https://sakitama-muse.spec.ed.jp
Re: スレ「FC2のロビー・談話室12」 - (管理人)
2025/03/07 (Fri) 10:02:02
(FB談話室からの転載です。)
北條 芳隆
1日 ・2025年03月06日(木) 08:15
【前方後方墳とその時代】
3月16日(日)にはこのシンポジウムが開催されます。
(「前方後方墳とその時代―弘法山古墳と高尾山古墳―」)
調査担当者の小山奈津実さんと沼津市の木村聡君との
三者対談です。
2基の古墳は築造年代も墳丘規模も木棺のサイズや形状も、
鏡をはじめとする副葬品の組み合わせも酷似しています。
ただし礫槨と直葬という対照的な埋葬施設です。
一方は「列石・葺石型」の築造、もう一方は「周溝型」築造
だという点でも異なります。
さらに一方の墳丘は冬至の日の出を正確に向くのに対し、もう
一方は北辰を志向しているという、新旧の方位観に分けられます。
弘法山古墳の報告書が作成された時点では近隣に比較すべき
良好な資料がなかったこともあって、東海西部
(近江からを含む)からの多量の祭祀用の土器が持ち込まれた
ことまでは分かっていましたが、年代観を含め評価が
難しいところがありました。
今でも公式見解は3世紀末となっています。
ただし2009年に高尾山古墳の本格的な発掘調査が実施された
ことで、弘法山古墳の重要性がにわかにクローズアップされる
ことになりました。
これを機に松本市と沼津市の両教育委員会は相互に連携した
研究体制を組むことになり、現地での協議から始めて、
昨年は中山36号墳鏡を加え後漢鏡3面が対面を果たしました。
こうした連携実績をふまえての今回のシンポジウムです。
私は昨日の記事との関わりで2基の古墳の関係を語ることに
なりますが、次回は弘法山古墳の系譜について大和との
直接的な関係に言及します。
木村君からは内容の一部について
「本当に大丈夫ですか?」と心配されていますが、
新たに判明した事実関係をもとに話します。
課題は信州在住の方々に纒向古墳群や西条52号墓など
東部瀬戸内地域の事例をどうやったらわかりやすく
紹介できるかです。
いわゆる「大和中心史観」ではなく
「大和側参照史観」のつもりではいるのですが。
教え子筋からは批判される昨今です。
Re: スレ「FC2のロビー・談話室12」 - (管理人)
2025/03/03 (Mon) 00:04:56
.
加耶/任那―古代朝鮮に倭の拠点はあったか
(中公新書 2828) 新書 – 2024/10/21
仁藤 敦史 (著)
加耶(かや)/任那(みまな)は3~6世紀に存在した
朝鮮半島南部の小国群名である。
『日本書紀』は任那と記し、「任那日本府」の記述などから
長く倭の拠点と認識されてきた。
だが戦後、倭の関与について強く疑義が呈される。
歴史教科書の記述は修正が続き、呼称も韓国における
加羅、さらには加耶へと変わる。
他方で近年、朝鮮半島南部で倭独自の前方後円墳の出土が
相次ぎ、倭人勢力説が台頭している。
本書は、日韓歴史共同研究をはじめ古代東アジア史の
一大争点である同地の実態を実証研究から明らかにする。
【目 次】
まえがき
序 章 加耶/任那研究の歩み
1 日中韓史料のなかの古代東アジア
2 通説までの道程――150年に及ぶ研究の軌跡
3 広開土王碑と百済三書――史料批判による精緻化
第1章 檀君神話から金官・大加耶へ
1 「古朝鮮」の虚実――檀君、箕子・衛氏朝鮮時代
2 三韓時代へ朝鮮四郡と馬韓・辰韓・弁韓
3 いにしえの辰国――三韓以前の半島南部
4 二大国の建国神話と任那の登場
第2章 弁韓からの発展――4世紀の動向
1 盟主・金官の台頭と揺らぎ
2 神功皇后「加羅七国平定」――『日本書紀』の真偽
3 百済と倭の通交はいつからか
4 広開土王碑のなかの倭、任那加羅、安羅
第3章 大加耶の成長と倭臣――5世紀~6世紀初頭
1 高句麗対百済・倭――5世紀前半の動向
2 倭の五王による「任那・加羅」都督諸軍事申請
3 大加耶の中国への遣使「輔国将軍本国王」の冊封
4 加耶・馬韓の倭臣たち――ヤマト王権と異なる倭系集団
第4章 百済・新羅による蚕食と抵抗――6世紀
1 「任那四県の割譲」――減衰する加耶諸国
2 新羅の侵攻、㖨己呑・金官・卓淳の併合
3 任那復興会議百済の招集と加耶諸国の思惑
4 加耶の消滅――「任那日本府」とは何だったか
第5章 滅亡後――倭の揺れる「任那」認識
1 なぜ倭は百済・新羅に「調」を要求し続けたか
2 伝承と面影――新羅と日本のなかで
終 章 加耶とは何か――国民国家を超えて
あとがき
主要参考文献
加耶/任那 関連年表
Re: スレ「FC2のロビー・談話室12」 - (管理人)
2025/03/03 (Mon) 00:03:00
(FB談話室からの再掲です。)
小原理一郎
1月20日 ·・2025年01月20日(月) 23:17
<東アジアの古代文化を考える会>特別研究会」案内
特集 <伽耶と古代日本>
> 開催日 2025年3月22日(土)午後1;00~午後6時
>場所: <杉並セシオン>第8集会室
最寄りの駅 丸の内線 【東高円寺駅】
または【新高円寺駅】徒歩5分
参加費:資料代と会場費 500円
研究会の 趣旨は、> 4月仁藤敦史氏が4月19日(土)
<任那日本府>というテーマで伽耶諸国を取り上げます。
近著【加耶・任那】(中公新書)は12月出版されたばかりで
ベストセラ-となっています
2022年歴博主催【伽耶】特別展では仁藤氏は
カタログ執筆者となって最新の発掘資料に接しています。
これは<伽耶諸国>を取り上げる好機と思い、
【特集】【伽耶と古代日本】というテーマで特別研究会を
開催して最新の伽耶諸国の研究成果を取り込んだ
研究発表をしたいと思います。
発表者は以下の通りです。
1小原理一郎 1;30~2;50
【伽耶文化の考古学的究明】
朝鮮半島の最近における考古学的な発掘と研究発表は
かなり掘り下げられており、過去の研究蓄積のみならず
最新の研究成果を取り込んだ研究発表が続いている。
過去に東アジアの古代文化の会では2回(2002年11月と2010年
9月)にわたる百済、伽耶地域の遺跡見学を行ったことがあり、
早くから伽耶の歴史的な重要性については訴えてきた。
朝鮮3国時代;高句麗、新羅、百済と伽耶諸国と
古代日本成立期倭国との関係を考古学的な資料;、
博物館で入手した図録などの資料と伽耶地域遺跡の
現地調査など踏まえて考古学な紹介をする。
特に伽耶諸国は統一国家成立に至らなかったが、古代日本の
国家成立と文化のために東アジアの古代馬匹文化、高句麗、
古代中国;漢;魏、晋の文化、技術、とりわけ、鉄技術、
馬匹文化は伽耶人と在地の倭人が共同で介在し
日本列島に伝播させたことが考古学的に証明される。
2,竹本雅昭 3;00~4;00
【 狗邪韓国の「出自」と「行方」】
朝鮮半島南部、現在の金海地方に存在していた狗邪韓国の
とらえ方には、不明な点が多い。
鉄資源があったこと、首露王伝説、大成洞古墳群などの地だが、
「出自」不明の謎めいたゾーンである。
韓国を代表する古代史家李丙壽氏は、彼らは楽浪郡から逃れた
人々であって、逃避行の際にうたわれた古歌が「アリラン」と
述べている。彼らの墓地である
良洞里遺跡を中心に考古学面から狗邪韓国を論じたい。
3.赤尾恭司 4;10~5;00
【『加耶/任那』(仁藤淳史2024)を批判的に読む】
古代史関係の論考で気になるのは、①史書にある
「国」「国家」をそのまま用いており概念が不明であること、
②例えば、広開土王碑の「碑文にみえる「倭」がヤマト王権を
背景とすることは疑いにくい」(本書p45、46など)など、
古代の日本列島ではヤマト王権が唯一無二と
論証抜きで議論していることである。そこで、
この二つの視点を軸に、本書の内容を批判的にまとめてみたい。
4,下山繁昭 【任那の成立について】5;10~6;00
日本書紀の記述と高句麗、鮮卑族の動きと周辺諸国の動きと
合わせて考えると倭国ナショナリズムに惑わされず
冷静な目で見る見方が必要ではないかと思えてくる。
戦前から知られている倭国の力が増して来て半島南部に進出し
中国南朝に朝貢するまでになつたとしているが、
日本書紀の細かな分析だけでも違った世界がある。
又 古墳時代、弥生まで遡ると朝鮮半島南部には
インドのタミール地方の文化が流れ来ている。
タミールの影響は一部の学者しか分析していないが
歴史を再構成してみる必要がある。以上